原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     】 序章

『三国志』。
どんな人でも、名前ぐらいは、きっと聞いたことがあるであろう。
この壮大な歴史物語は、今から約千八百年昔の、中国で紡がれたものである。

今から話すこの三国志は、今までとは少々、雰囲気が違っているかもしれない。
なぜならば、『戦いよりも、心を重要視した三国志』だからである。



いかに劉備が、人の心に共感し、平和を目指していたか。
いかに関羽が、強くて義理堅く、そして優しかったか。
いかに張飛が、正義感溢れ、純粋で前向きだったか。

孔明は一体どんな人物だったのか。
曹操は、本当は劉備のことを、人としては好きだった……。
腐敗政治で民衆や皇帝を苦しめた宦官、十常侍たちや、悪政で評判の悪い、董卓の本当の心の内には、いったいどんな闇があったのか。

皇帝は、どれほど孤独だったのか。
そして、歴史の表舞台に殆ど出なかった、世の中の民たちは、一体どんな気持ちでいたのか。
決して明かされなかった三国時代の者たちの『心』を、ここで初めて明かしたいと思う。


この三国志の舞台は、現代の二十一世紀から、千八百年ほど昔の、一世紀から二世紀の中国大陸である。
その頃の日本はまだ、邪馬台国(やまたいこく)の女王、卑弥呼(ひみこ)が活躍した弥生時代で、日本史としてはまだ、国が始まったばかりに過ぎなかった。
しかし、日本の海を挟んで隣、同じ頃の中国は、既に二千年以上も長大な歴史を繰り広げている大陸国であった。

三国時代を説明するには、まずは紀元前の中国にさかのぼる必要がある。
周代、春秋(しゅんじゅう)時代、戦国時代と続き、紀元前二〇六年、秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の時代が、当時、宦官(かんがん)であった趙高(ちょうこう)が原因で、僅か二代で滅亡してしまった。

宦官とは、去勢している男性のことで、帝の世話役たちのことであるが、古くから中国の王朝が滅亡したり、トラブルを起こしたりする、原因となる場合が多かった。

その後乱世の時代に突入し、劉邦(りゅうほう)と項羽(こうう)が覇権を争った。
この戦いは、劉邦が勝利し、漢の高祖として、漢王朝(かんおうちょう)という、歴史的に重要な統一王朝を築き上げ、それから四百年も過ぎた。

その間に、紀元後八年、漢王朝は一度、王莽(おうもう)の新王朝に乗っ取られ、滅亡という危機に瀕したが、それもすぐに、高祖劉邦の九代目の子孫である劉秀(りゅうしゅう)によって免れ、紀元後二十五年、新たに新しい漢王朝を再建した。
そのため、前半の劉邦の漢王朝は『前漢』、その後の劉秀によって再建された漢王朝は、『後漢』と呼ばれている。

そして後漢末期――。
やはり人も国も、無常なものである。
栄華が永遠に続くことなど有り得ず、約四百年に渡り君臨したこの漢王朝もまた、宦官による腐敗政治が続き、それが限界をとうに超えていた。
そのため、その頃の民たちは、悪政と重税に苦しみ、更に天災や疫病も続いて、今日は生きられても、明日、いや、数時間後には生きていられるかどうかも分からない、常に飢えと死と隣り合わせの、悲惨な毎日であったのだ。

我が国日本は、平安時代末期から武士が発生して、源平合戦、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、応仁の乱から戦国時代、安土桃山時代、江戸時代、幕末……と、幾度も戦乱の時代を経て、現在に至るが、同じように中国でも、乱世の争いが絶えず、毎日のようにたくさんの罪なき人の命が奪われていた。

日本も、現代からたった数十年前は、第二次世界大戦という戦争をしていたのだから、平和になったのは、つい最近に過ぎないのである。
しかも、その現代の平和も、本当に平和かどうかは、定かではない……。

おっと、話が横道に逸れてしまったようだ。
それでは早速、昔の人たちが、どう考え、どう思っていたか、覗いてみることにしよう。
三国志を見ると気が付くことがあるのだが、昔の人たちの心も、大切な部分は、現代の私たちと何も変わらないということである。


時は中平元年、一八四年。

腐敗政治を横行する漢王朝を倒そうと、『黄巾党(こうきんとう)』という道教集団、現代で言うところのいわゆる宗教団体が、突如現われたことにより、罪もない民衆が虐殺され、なけなしの財産すら搾り取られ、奪われた。
乱れに乱れ切った世の中、まず犠牲になっていくのは、貧しい者たちの中でも、特に女や子供、老人であった。

黄巾党の人間たちの大半は、そもそもは、漢王朝の宦官や重臣たちによる腐敗政治に苦しみ、それで我慢できず、立ち上がった農民たちだったのだ。
当初は、世間から救世主のように思われていた黄巾党だったのだが、いつの間にか方向性が狂い、今や単なる暴徒に成り下がってしまったのだ。


今日も、とある小さな村が、黄巾賊によって壊滅しようとしていた。
何も罪なき人が、後ろからいきなり首を切られた。
「ぎゃあああーっ!!」
「とっ、父ちゃーん!!」
あちこちで、死に際の、断末魔の悲鳴……。

「お……お待ちください!! それだけは……!! それを持っていかれると、わしらは死んでしまいます!!」
「うるせえっ!!」
黄巾賊の男は、農民の男を突き飛ばし、そして刃を向けた。
「どうせ死ぬんだから、殺してやるよ!!」
「ぎゃああーっ!!」
「お前さま!! お前さまーっ!!」
夫を切り殺された女性が、遺体にすがって号泣する。

しかし、そんな女性にも、目の前に危険が迫っていた。
「へっへっへ……」
「!?」
女性は、黄巾賊の男たちに、いきなり両腕を取り押さえられた。
「な、何を!?」
黄巾賊の男が、汚い手で、強引に女性の顎を自分の方へ引き上げた。
「へえ〜。なかなかの上玉だな」
「農民の女の割りに、なかなか美人じゃねーか」
「何をするのです!? はっ、離して!!」
「殺したらそれで終わりだからなあ。今から楽しいことをするんだよっ!!」
「どうせこの後死ぬんなら、いいじゃねーか〜」
黄巾賊の男たちが嫌らしげに、蟻の様に女性に群がる。
「やめてください!! いやーっ!! やめてえーっ!!」
女性は必死に抵抗したが、たくさんの男の力には敵わなかった……。

後漢末期、この乱世の悲惨な時代は、男はまだしも、女の場合は、更に不利で理不尽、悲惨な時代であった。
ただ殺されるだけでは済まず、身体を弄ばれるという性的暴行の悲劇が、ほぼ必ず待っていたのだ。
ひどい場合、夫の目の前で陵辱され、散々弄ばれ、挙句に命を奪われる。
戦争は、悲しいことに、どの時代でもそうだが、男と同じか、若しくはそれ以上、女は苦しみ、泣いていたのだ。

別の場所では、やはり黄巾賊の男たちが、金銀財宝を見て、狂気的に叫ぶ。
翡翠は、中国では貴重な宝石であった。
「おいおい、これって、翡翠じゃねーか!!」
「やめてください、それは母の形見なのです!!」
「ごちゃごちゃ騒ぐなっ!! みんな奪ってしまえ!!」
「でかした!! お〜、こっちには玉石があるぜ!!」
「逆らう者は皆殺しだーっ!!」

断末魔の悲鳴、悲痛な叫びすら、死にかき消され、次第に不気味なほどの静寂が広がっていく。
後は、ぞっとするほど暗い夜と、不気味に青白く光る月が死体を照らす。
おびただしいほどの死体の山から、青白い燐が灯り、それがまた不気味な空気を醸し出す。

さっきまで、平和に暮らしていたはずの人たち。
確かにそこにあった命の証が、今は無残な死体の山となって、無造作に転がる。
みんな、それぞれに人生があったというのに、誰もその人たちの人生を奪う権利などないのに……。

黄巾党の者たちも、普通の農民たちも、同じ人間のはずである。
同じ人間なのに、どうしてここまでひどいことができるのか。
どうして人は人を、惨たらしく殺すのか。

それは、二十一世紀の現代に至っても、未だに分からないのが悲しい……。

   

拍手ボタンを設置しました!\(^0^)/
お気軽にポチッと、どうぞ!(^^)v

inserted by FC2 system