原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     11】 張遼との別れ

次の日。
雲がひとつもない、青空のすがすがしい、とても良い天気であった。
「張遼、起きろ」
「……う〜ん……」
「これ、張遼……」
関羽は、寝ている張遼の身体を揺さぶった。
「なんだよお……。関羽。眠いなぁ……もっと寝かせてよ〜」
「なにを言うておる。とても良く、晴れておるぞ」
「えっ!?」
関羽のその言葉を聞き、張遼の大きな瞳がパッと開かれ、張遼は飛び起きた。
「やったぁ〜! 晴れてるっ!」
張遼が、玄関先で、ぴょんぴょん飛び跳ね、大喜びしている。
「では、朝食を頂いた後、出掛けることとするか」
「うんっ!!」

「じゃあ、水切りだな、関羽! 早速やってみる!」
張遼は、ただがむしゃらに、その辺の石を適当に拾い、投げているが、うまくいかなかった。
「えいっ! ……あれ? もいっかい。……う〜ん、なんでダメなの〜?」
「ははは……。気持ちは分かるが、それではなかなか、うまくはいかぬな」
「関羽〜。どーやればいいの?」
「水切りをするには、まず第一に、最適な石選びが重要だ」
「石選び? なんでもいいんじゃないの?」
「いや、違う。張遼の選んだ石では、重心が合っておらぬからな」
「じゃあ、どんな石がいーの?」
「そうだな。ほれ、このように、平たい石を選ぶ。水切りは、良い石を選ぶことが、勝敗の分かれ道のひとつなのだ」
「へえ〜……」
「それをこのように……手首をひねらせ、このように……!」
「!」
「むんっ!」
関羽は、手首と身体をひねらせ、守備よく石を川の水面に投じた。
「……投げるのだ」

張遼は、関羽の石を投げた姿に、目を奪われて、ポカンとしていた。
「す……すごーい!」
「もちろん、平たい石を単に投げただけでは、石は水上を跳ねはせん。投げ方が大事なのだ」
「そっかぁ。じゃー、練習しなきゃな!」

張遼は、わくわくしながら、平たい石を探し始めた。
「平たい石、平たい石っと……。あ、関羽。これはどーかなぁ!?」
「どれ、見せてみろ」
「これだけど……」
張遼の拾った石は、確かに平たかったが、角がごつごつしていた。
「うーむ……。角ばった石よりは、円く平たい石が適する」
「そーなんだぁ。じゃー、もいっかい探して来る!」
 張遼は、また川原にしゃがみ込み、石を探し始めた。
「う〜ん、なかなかないなぁ……」
張遼は、一生懸命石を探していた。
が、なかなかそれらしい石はないようだ。

その時、関羽が、張遼を呼んだ。
「これ、張遼。来るがよい。このような石だ」
「え、どれどれ!?」
「このような、平たく円い、角のない石だ。早速投げてみるか?」
「うんっ!」
「なるべく、水面に投入する角度を小さくし、出来る限り、横から投げるとよいぞ」
「ん〜っ……、それっ!!」

張遼は、関羽に言われた通り、出来るだけ横から石を川に投げ入れた。
バシャバシャバシャ……!
張遼の気持ちが通じたのか、石は三度、水中を跳ねて、沈んでいった。
張遼は、大きな瞳を輝かせて、飛び跳ねて喜んだ。
「や……、やったぁ! 関羽っ。やったよ!」
「良かったのう、張遼。今の投げ方を覚えておくとよいぞ」
「うん! わかった。関羽、ありがと!」
そんな、非常に嬉しそうな張遼を見て、関羽もにこにこしていた。

関羽と張遼が、そんな風に遊んでいた、その時。
張遼が、ふと、山のふもとに目をやり、目を見開いた。
「……あれ?」

「関羽……。あれは何?」
「どうした、張遼?」
「あれだよ。あの、黄色く見えるやつ」
「!」
張遼が指差した先を見て、関羽は、ハッとして、瞳を見開いた。
関羽の、心がざわつくような、ただならぬ様子を見て、張遼がやや不安そうに、関羽を覗き込んだ。
「関羽? どーしたの?」
「……あれは、『黄巾賊』と呼ばれる集団だ……」
「それって、ヤバいやつらなの?」
「ああ……」
そこまで言って、関羽はハッとした。
「待て。あれは、張遼の家の方角ではないか……!?」
「へっ!? ウソ……」
張遼は、ギョッとして、その方角を瞳を凝らして見た。
「ほ……ホントだ……!」
「お父上と、お母上が心配だ。戻るぞ!!」
「うん!!」
関羽は、張遼の手を取って、急いで山を降りた。

関羽が心配した通り、やはり、黄色く見えたものの正体は、黄巾賊たちであった。
黄巾賊は、丁度、関羽たちが子供の頃から、暴徒と化し始めていたのだった。
「おとーさん! おかーさん!」
張遼は、真っ先に自分の家に向かおうとした。
この時の張遼の走る速さは、とても速かった。
「待て、張遼! 危険だぞ!」
「嫌だっ! おとーさんを見付けるんだっ!」
「張遼っ!! 待てっ!!」
関羽は、必死で、張遼を追いかけた。

その時、民家の裏側で、張遼の悲鳴が聞こえた。
「ぎゃーっ!!」
「!! 張遼っ!!」
関羽は、張遼の悲鳴を聞き、必死で声のした方へ走った。
「なにすんだっ!? 放してっ!!」
「張遼っ!!」
「へっへっへ……。なんだ、ガキ。このガキの兄貴か?」
「!!」
張遼は、背の高い黄色い帽子をかぶった男に、押さえ付けられていた。

関羽は足を止め、冷静だが毅然として、相手に言い返した。
「そのようなことは、お前たちには関係がないであろう!!」
「ふん、生意気なガキだ」
「張遼を放せ!!」
「か、関羽ーっ!! 助けてーっ!!」
「張遼っ!!」
「うるせえっ! クソガキがっ!! 黙れっ!!」
「んぐーっ!! んんー!!」
敵は、とうとう張遼の口を押さえた。

しかし、その時だった。
「んっ!!」
「うわあっ!!」
張遼は、敵の足を、思いっ切り蹴飛ばした。
敵はその途端に、張遼を思わず放した。
張遼は、その隙に、関羽に素早く駆け寄った。
「関羽ーっ!!」
「張遼っ!!」

しかし、喜びもつかの間。
二人のすぐ後ろに、完全に激怒した黄巾賊がいた。
「くっ……クソガキがあ!! さっさと死ねっ!!」
怒り狂った敵が、今にも関羽と張遼に、刀を振り下ろそうとした。

「……!」
関羽は、この時、武器を持っていなかった。
「むっ!」
関羽は、その時、足元に運良く、木の棒が転がっていることに気が付いた。
仕方がないので、その木の棒で、素早く応戦した。
黄巾賊の持つ刀は、関羽の持った木の棒で防がれた。



しかし、黄巾賊は、それでも不気味に笑っている。
とても、同じ人間とは思えぬ不気味さであった。
「へっへっへ……。ガキの癖に、えらく腕が立つじゃねーか」
「黙れ! お前たちが、黄巾賊か。お前たちの評判の悪さは、わしの耳にも届いておる。お前たちのしておることは、正しいことなどひとつもない。直ちに、この村から立ち去るがいい!!」
「へんっ! 口も達者だな、ガキの癖によー!」
「むっ!!」

しかし、この時の関羽は、まだ十一歳の子供。
大人の黄巾賊に、現在のように簡単には勝てなかった。
「ガキは、大人しくしやがれ!!」
「!!」
関羽の持っていた木の棒は、相手の頑丈な太刀の前に、いとも簡単に斬られてしまった。
「そんな棒で。しかもガキが。黄巾に勝てると思うなよっ!」
「か……関羽っ……怖いよ……!」
張遼が、ぼろぼろ涙をこぼし、ガタガタ震えている。
木の棒を失った関羽に、さすがに勝てる見込みはなかった。
「くっ……!」
関羽は必死に、張遼を抱きしめていた。
「二人、仲良く地獄に落ちな! 死ねーっ!!」
「!!」
関羽と張遼は、思わず、目をギュッとつぶった。

「……?」
しかし、関羽にも張遼にも、全く痛みはなかった。
その理由は、張遼の声で、すぐに明らかになった。
「おとーさんっ!!」
「!?」
張文が、その黄巾賊を、後ろから斬り付けたのだった。
「無事かっ!? 文遠っ!! 関羽くん!!」
「お父上殿!!」

しかし、黄巾賊は、もちろん、独りだけではなかった。
「貴様あーっ!! おい、こいつ、やっちまえ!!」
「黙れっ!! お前たちこそ、よくも我が子たちを殺そうとしたな!!」
「かかれっ!! みんなぶっ殺せーっ!!」
恐ろしい怒声が、その場に響いた。

「関羽くん、文遠!! 早く逃げなさい!!」
「しかし、お父上殿……! お一人では」
「おとーさん! おとーさん!!」
「関羽くん。どうか、文遠を頼む……!」

だが、たった一人で戦う張文と、大勢の、それも腕の立つ黄巾賊たちでは、圧倒的に張文は不利であった。
多勢に無勢……。
張文は、次第に苦しみだした。

張遼も、そんな父親を見てはいられず、もう、我慢の限界であった。
「おとーさん!! 俺も行くっ!!」
「駄目だ、張遼っ!!」
関羽は、張遼の腕をがっしり掴んだ。

「許せぬ、あやつら……。たった一人のお父上殿に、大勢であのような……!」
ところが、思わぬ人物が現れたことで、状況が一変した。
「父上っ!!」
「関悦おじさん!!」
「長生っ!!」
関悦は、関羽に剣を投げた。
関羽は、それをがっしりと受け取り、鞘を抜いた。

関悦は、かなりの剣の腕を持っており、日頃から関羽にも、剣術を教えていた。
「よくも、この村をこのようにしてくれたな!」
「なんだ貴様!?」
「私は、隣村の関悦。黄巾賊、お前たちもこれで終わりだ!!」
「こざかしい!!」
黄巾賊たちは、一斉に、関悦と関羽に向かってきた。
「覚悟召され!! 黄巾賊!!」
だが、剣を持っている二人は非常に強く、黄巾賊たちは次々と、関悦と関羽の剣の前に倒れた。

しかし、それで終わりではなかった。
張文が、たった一人で敵の攻撃を受けて、瀕死の状態だったのである。
張文の傷は非常に酷く、腹腔にまで達していた。
その凄まじい出血を止める術などないことは、その場にいた誰の目にも明らかであったが、それでも関悦は、辺りに落ちている布を、張文の患部に巻いていた。
「おとーさん!!」
「張文殿! しっかりしろ!!」
関悦は、血相を変えて、張文の両肩を揺さぶった。
「……か……っ……、関悦……殿。私は、おそらく……、駄目だ……」
「何を言われる!? しっかりしろ。死んではならぬ。そなたには、奥方も張遼も、おられるではないかっ!!」
「おとーさん! おとーさんっ!! やだ。死んじゃやだっ!!」
「張遼……。母を大事に……するんだぞ……」
「張文殿っ! 張文殿っ!!」
だが、それっきり、張文は瞳を開けず、動くことはなかった……。
「おとーさん!! おとーさん!! おとーさんっ!!」
どれほど、張遼が呼んでも。
張文は目を開けなかった……。

全てを悟ったその時、張遼の悲しみが、怒りに変わった。
「絶対に許さない!! 黄巾賊めっ!!」
激しく怒る張遼を見て、関羽はハッとした。
張遼は、張文の形見である剣を持ち、その場から駆け出そうとした。
「おとーさんの仇を討ってやる!!」
「ならぬ! 張遼!!」
関羽は、素早く、張遼の腕を引っ張った。
「放して! 関羽っ。放してよっ!!」
張遼は、もはや、正常心を失っていた。
無理もない。
目の前で、父親を殺されたのだから。
「絶対に、あいつらを、おとーさんと同じ目に遭わせてやる!!」
「張遼。気持ちは良く分かる。だがお主一人では無理だ!!」
「……!!」
「悪いが、犠牲者が増えるだけであるぞ!! お主までこのような目に遭っても良いのか!?」
張遼は、愕然とした。
そして張遼は、その瞬間、足の力が抜けて、へなへなとその場に座り込んだ。
「張遼っ!!」
そんな張遼を、関羽が抱き止めた。
張遼は、気を失っていた……。

数日後。
張文は、変わり果てた姿となっていた。
張文を丁重に弔い、彼の遺体を埋葬し、一同が手を合わせているところであった。
「おとーさん……」
張遼は、泣き腫らした顔で、高く土が盛り上がった、張文のお墓の前に、座り込んだ。
そして、地面に突っ伏した。
「おとーさん! おとーさん!! どーして死んじゃったの!? どーしてっ!!」
「張遼……!」
そんな張遼の様子を、関羽は見ていることが出来ず、張遼に駆け寄った。

関悦は、張遼の前にしゃがみ込み、静かな様子で張遼の顔を覗き込んだ。
「張遼。取り敢えず、しばらく我が家に来なさい。きっと、長生と一緒なら、張遼も落ち着くだろう」
「……」
張遼は、泣き腫らした顔で、関羽の胸に飛び込んだ。
「!」



「張遼……」
関羽は、そんな張遼の震える肩を、抱き締めるしか出来なかった……。

その日の夜のこと。
張文が殺されたことが、まるで嘘のように、美しい星月夜であった。
「父上……」
「どうした、長生? 張遼は寝たか?」
「はい。随分泣いていましたが、ようやく先程……」
「そうか……」
関悦は、少しため息をついた。

少しの沈黙の後、関羽は、関悦の瞳を真っ直ぐと見て、低い声で呟いた。
「……父上。それがしは、この世に納得出来ません……」
「長生……」
「張遼のように、悲しい思いをする者たちが、何故これほど多いのでしょうか? この世は、特に子供に理不尽過ぎます」
「そうだな。長生の言う通りだ……」
関悦は、関羽の言葉に、低い声で相槌を打った。

「強い者は、本来、弱い者たちを守らねばならない。だが現実は、強い者が、弱い者たちを虐げ、全てを奪っている。私も、そんなこの世には我慢できない……」
関悦は、そう言って、関羽の頭を撫でた。
「長生。お前が、大人になる頃には、良い世の中になっているのが一番良いのだが、この世を見ている限り、残念だが、それは望めない」
「そうですか。やはり……」
「この世は、根本から、おかしくなっている」
関悦は、深刻な顔でため息をついた。
「だが、そう悲観的になっては、変わるものも変わらないままだ。この世は、我々大人が変えていかねばならない。それが大人の出来ることだ。だが、それでも駄目ならば……」
「……それがしが、変えてゆけば良いのですね?」
「ああ……。長生。お前たちのような子供たちは、この世の宝。生きる希望だ」

父親の張文を、黄巾賊に殺されてからというもの、張遼の生活は一変してしまった。
戦争というものは、そういうものである。
母親だけでは、張遼を食べさせることは難しい。
そこで、やむなく、張遼とその母親は、隣の県の親戚の家に行くことになった……。
つまり、関羽と張遼は、別れなければならなくなってしまったのである。

「泣かないの、文遠。男の子でしょう」
「どーして男だからって、泣いちゃいけないの? 俺は悲しいから、泣くんだい!」
張遼は、瞳に涙をたくさん溢れさせていた。
「やだっ! 俺、関羽と離れたくない!」
「文遠。わがままは困るわよ」
「張遼。お母上を困らせるでないぞ」
関羽は、冷静な様子で張遼を諭したが、張遼はますます、瞳に涙をためていた。
「関羽は悲しくないの!? 俺と離れるの、寂しくないのかよ!」
「それは寂しいが、また会えると信じておるのだ」
「え……?」
「また、再び会える。張遼……。わしと張遼は、また出会える。それまでお母上に孝行し、守って差し上げるのだぞ」
関羽は、とても優しい顔で、張遼の頭を撫でていた。
「……不思議だな……。なんか、関羽がそう言ってくれると、ホントに逢えるような気がする……」
「さらばだ、張遼……」
「関羽……また会おうね。絶対だよ!!」
張遼が、何度も後ろを振り返って関羽を見ていたが、やがて張遼の姿は、峠の向こうに姿を消し、見えなくなった。
それが、関羽と張遼の、幼き日の別れであった……。

   

拍手ボタンを設置しました!\(^0^)/
お気軽にポチッと、どうぞ!(^^)v

inserted by FC2 system