三国志 〜生と死と心〜

原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     15】 卑劣な上司・孫傑高進

関羽と呂澄たちの上司である、豪商の孫傑が、詐欺を働いているという疑惑が浮上して以来、関羽たちは普通に仕事をしているものの、気分的にすっきりしなかった。

「なあ、関羽……」
「どうしたのだ」
「なんか、気分的にさ。とてもじゃねーけど、仕事する気にならねーよ……」
「気持ちは分かるがな」

特に呂澄は、素直で正義感のある性格なので、善良な人々を陥れるようなことまでして、高いお金を稼ぎたくなどなかった。
もちろん、それは関羽も同様だった。
いや、むしろ、関羽こそ、そのような卑劣なことを許しはしなかった……。
「……わしらは、親方さまを信じるしかあるまい……」

関羽は、少し思案して、呂澄に言った。
「そういえば、今日は親方さまに、帳簿を届けねばならぬな……。その帳簿をお届けする際に、それとなく探ることとする」
「うん……」

しかし。
そのような、関羽たちの願いもむなしく、裏ではとんでもないことが起こっていたのである……。


「さあ、書け!」
その夜。
古びた小さな民家で、怒声が響く。

「我々の言った通り、もう一度書簡を書くのだ!」
「書かねば、どうなるかわかっておろうな?」
「うう……!」
数人の男に囲まれ、一人の若い男が筆を持ち、ガタガタ震える。
「どうした? さっさと書け!」

若い男は、更に震えを大きくし、とうとう筆を強く、卓上に置いた。
「――ダメだっ!」
「!?」
「俺にはこれ以上、出来ない!」
「なんだ貴様! 書けというのが聞こえないのか!?」
「どうか、このような惨いことは、おやめください!」
その若い男が、必死になって、数人の男に頭を下げている。

「黙れ! お前。逆らうとどうなるか、分かって言っているのか」
「数年前、父が亡くなり、母独り遺され、唯でさえ暮らしが大変だというのに……ここ数年の凶作。母はどうやって暮していけと!?」
「黙れ、生意気な!」

実は彼こそ、関羽の常連客である、老婆の息子。
先日、関羽と呂澄に、息子の手紙が偽手紙ではないかと相談していた、あの老婆の息子であった。

「それを、俺に偽手紙を書かせ、更に母から金を騙し盗ろうなど……っ!」
「貴様〜っ!!」
「逆らうのだな!?」
男たちが逆上していた。

「では望みどおりにしてやろう! 死ねっ!!」
「ぐわあっ!!」

男たちは、逆らった息子を容赦なく、刀で斬り付けた。
息子は悲鳴を上げ、血まみれでその場に倒れこむ。
そして、しんとなった。

「……死んだか?」
「動かぬな。死んだのだろう」
「……お……お前……たちっ……!」
「!?」
「こんな……卑劣な……こと……してっ……今に、神の……天罰が……っ。下るぞ……!」

息子は、最後の力を振り絞り、男たちをぎょろっと睨み、そう叫んだ。
その息子の目を見た男たちは、一瞬ゾッとしたが、ひるまず怒鳴った。

「だ……黙れっ!」
「おい、なにしてる。とどめを刺せ!」
「は、はいっ!」
男たちの一人が、息子の喉元に剣を刺し、とどめを刺した。
「ぐふっ!!」

今度こそ、老婆の息子はその場に力尽きた。
しかし、男たちを睨んだままの憤死であったため、息子は目をカッと見開いたまま死んだので、男たちは更にゾッとした。

「……き……気持ちの悪い目付きだっ……!」
「なにしてる。お前、早くこいつの目を閉じろ!」
「はいっ」
男たちの中でも下っ端の者が、言われた通り、死んだ息子の目を閉じた。
ようやく、男たちはホッとしたようだ。

「……ふん。逆らわねば、こんな目に遭わなかったものを」
「バカなやつめ」
「さあ。さっさとこいつの死体を、始末するぞ」
「はいっ」
「それが終わったら、次の仕事だ!」


別の場所では、更に別の青年が、そのような被害にあっていた。

「えっ!? 私は、そちらからお金など、借りていませんよ!」
「黙れ! この借用書があるだろう!」
「お前の名前が、ここに書かれているではないか!」
「言い逃れしようってのか!?」
「そ、そんな! これはなにかの間違いです!!」

青年は、自分の名前が書かれ、でっち上げられた偽の借用書を見て仰天した。
全く面識のない、強面の男たちが家にまで押し掛けてきて、青年は大変困惑していた。

「うるせえっ! 言い訳すんじゃねーっ!」
「耳揃えて、借金返してもらうぞ!」
「返せなきゃ、内臓でも売れ!」
「その腸(はらわた)、この場で斬ってやろうか!?」
「ひっ!!」

男たちは、青年に刃物をちらつかせた。
「ひいいっ!! はっ、払いますっ……!! いっ……、命だけはお助けをーっ!!」
青年は、戸棚からお金を掴み取り、慌てて男たちに渡した。
「へっ。ちゃんと返してくれりゃー、いーんだよ」
「じゃーな!」

男たちは、金を受け取ると、さっさと帰って行った。
お金を盗られた青年は、いつまでもその場に震えていた……。


そして、その頃。
関羽は、孫傑に帳簿を届けに行こうとした。
するとその時、孫傑の控える部屋から、不気味な笑い声がした。

「ひっひっひ……。うまくいきましたな」
「……!?」
関羽は、驚いて、そのまま黙って、物陰に隠れ、中の様子を探ることにした。
「親方さま、今日も、相当儲かりましたな」
「そうだな……、ざっとこんなもんだろう」
ジャラジャラ……。
チャリーン……。
金銭の弾け飛ぶ、金属音がする。

その音を聞いて、孫傑は邪悪に笑う。
「ふっふっふ……。いつ聞いても、心地の良い音だ」
「金は、あればあるだけいいですな」
「ああ、馬鹿な金づるどもから、絞れるだけ、搾り取ってやる」
「孫傑さまは、商売の天才ですね。客の息子や娘になりきって、偽の書状で金銭を送らせるとは。それに、本当は存在しない金銭や借金の請求をしたり……。普通の人間が思いつくことじゃございませんね」
「まあ、今の世の中、こんなもんだろ」

孫傑は、悠々と酒を飲む。
騙されたお客が悲しみ、泣いているというのに、彼はのうのうと酒を酌み交わしているのだ……。
一連の騒動の黒幕は、やはり、孫傑であった。

孫傑は、威圧的な態度で、下っ端たちに訊いた。
「おい。そんなことより、逆らった者たちは、分からないように始末したんだろうな?」
「はい、もちろんです。殺した死体は全部、山の奥深くに埋めました。……ふふふ、あやつらも、逆らわなければ命までは取らなかったのに、馬鹿な奴らですね」
「いや、これからは、逆らわずとも、口封じに殺せ。分かったな!」
「はい、孫傑さまの仰せの通りに」

孫傑は、椅子に座ってふんぞり返った。
「まあ、この乱世だ。いつ人が死んでもおかしくはない」
「乱世も、そういう意味では好都合。怪しまれずに済みますね」
「普通のやり方じゃ儲らないからなあ。なあに、どうせ対象は、放っておいても、もうじきくたばるジジイババアだ!」

その様子の一部始終を聞いた関羽は、激怒した。
「待たれよ。それは、商売ではない。詐欺ではないか!」
「か、関羽!?」
「お前、いつからここにいた!?」
「帳簿を届けようと思って来たのだ……。しかし……」

関羽は、孫傑を真っ直ぐ睨み付けた。
「今の会話を、全て聞かせてもらったぞ。……やはり、親方さまは、詐欺を働いておったのだな!」
「関羽、お前、何か勘違いしているのではないか?」
「そうだ、証拠なんてあるのか?」
「……ある!」
「はっはっはっは……。もしかして、その手紙が証拠だとでも言いたいのか? 笑わせるなよ」
確かに、この後漢末期、現代のように精密な筆跡鑑定や、指紋検査もないので、いくらでもごまかしようがあった。

孫傑は、まるで反省する様子もなく、高笑いをした。
「ふん、関羽。お前、この後どうする? 私を役人に訴えるのか? そんな客の言うことや、その手紙を役人に出したところで、何の証拠にもならんわ!」
「役人の目は誤魔化せようと、この関羽の目は誤魔化せんぞ! お前たちの瞳を見れば、全て考えておることなどわかる!!」

関羽は、孫傑に訊いた。
「何故、お客さまを騙したりしたのだ!?」
「人は金だからだ!」
「なに……?」
孫傑は、まるで悪びれる様子もない。

「人は、金づるに過ぎない。時は金に変わるし、人も金に変えられる。儲かりさえすれば、何をしてもいい。大体、関羽。世の中そんなに甘くないんだぞ? 儲かりさえすれば、どんな手を使おうと、儲かったもの勝ちだろう!」
「なんということを……」
孫傑の邪悪で汚い心の前に、関羽は絶句した。

「……関羽。お前は部下の中じゃ、確かに一番真面目で、律儀で義理堅く、客に人気があった。でも、くそ真面目なお前じゃ、一攫千金は到底無理だろうな! 世の中、ちょっとぐらいずるくなきゃ、生きていかれないんだよ。狡猾で強い者が生き残り、善良な弱い奴らは、死ぬ運命なんだ」

「……そのような考えでは、いつか、お客さまに見放され、天罰が下るぞ! ……それに、ちょっとどころではない。親方さまは、重い罪を犯しておる。それは犯罪であろう!」

関羽は、ずっと我慢していたが、とうとう、青龍偃月刀を握り締めて、怒りに震えた。
「我らがこうして生きておるのも、お客が我らを信じ、金銭をお支払い下さるからこそ。なのにそれを……」
「なんだ、関羽。俺のやり方に文句があるってのか!?」
関羽は、孫傑に怒鳴った。
「罪なき善良なお客、しかもご老人を……騙すような商いは、商いではない!!」

「は――っ!!」
そして関羽は、怒りのあまり、数週間前、南華仙人に授かった青龍偃月刀で、とうとう孫傑を斬ってしまった。
孫傑の首が、関羽の操る青龍偃月刀に吹っ飛ばされた。
ジャラジャラ!!
チャリーン!!

孫傑が倒れたため、たくさんの金銭が、床に散らばった。
その金銭は、孫傑の血で真っ赤に染まる。
生々しい、鉄分の含まれる血の臭いが、あたりにたちこめる。

孫傑の惨状を見て、手下たちが悲鳴を上げた。
「ぎゃあ――っっ!!」
「ああっ、孫傑さまっ!! お、お金が血だらけ!!」
「おのれ関羽、よくも孫傑さまを!!」
「秘密を知られたからには生かしてはおけん! 死ね! 関羽!!」
下っ端の者たちが、関羽に斬りかかったが、関羽の敵ではなかった。

ところが、関羽の前に、意外な人物が立ちふさがった。
それは、なんと、董海であった。
関羽は、びっくりして、目を見張る。
「董海ではないか。一体なにをしておる……?」
「関羽、今こそ、お前を斬るっ!」
「董海!?」

董海は、とても低い声で、関羽に言った。
「……関羽……。俺は、お前がずっとうざかったよ……」
「!?」
関羽には、とても信じられない言葉であった。
いつもの、内気ではにかみやな董海ではない。
別人のように、恐ろしい目つきをしている。

そんな董海の口から出る、刃物のように冷たく鋭い、憎悪の言葉。
「お前は何でも出来やがる。武道も、勉強も完璧に……。おまけに、蘭仁まで……。俺が勇気出して告白したら、関羽が好きだって言ったんだっ!! ……関羽以上の素敵な男はいないって……そんなこと……っ!!」

董海は、どんどん言葉も感情も激して、わなわな震えている。
その鋭さと激しさに、関羽は思わず、動けなくなり、その場に立ち尽くす。
「と……、董海……!」
「なんで、お前みたいなのが存在するんだ……? なあ、なんでだよ……?」

董海は、涙をぼろぼろこぼして、関羽に近寄り、剣を振り上げた。
「お前なんか、いなければ良かったんだ!! 関羽!! 死んじまえ――っ!!」
「!!」

董海と関羽は、その時至近距離。
いくら関羽でも、刃物を避けられそうにない……。
関羽は、思わず身構えて、ギュッと瞳を閉じた。

   

拍手ボタンを設置しました!\(^0^)/
お気軽にポチッと、どうぞ!(^^)v

inserted by FC2 system