三国志 〜生と死と心〜

原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     16】 関羽の悲しみ

――ドスッ!!
刃が突き刺さる鈍い衝撃音がしたが、関羽の身には、何も起こっていなかった。
「……!?」
関羽は、驚いて、目を開いた。

その時、呂澄が、関羽の前に飛び出して、関羽の代わりに董海の憎しみの刃を受けたのだった……。
「呂澄!」
関羽は、ハッとして、血相を変えて、呂澄に駆け寄った。
「呂澄! 呂澄っ! しっかりするのだ!!」
「と……、董海……っ……、俺たち、仲間じゃなかったの……か? そんな馬鹿なことで……関羽に当たるな……っ……」
呂澄は、患部を押さえて、董海を悲痛な目で見た。

「……りょ……呂澄……!」
我に返った董海は、急に自分のしたことが恐ろしくなり、突然狂ったように叫んだ。
「うわああああ――!!」
そして董海は、全速力でその場から逃げ出した。

それを見た関羽は、董海を追おうとした。
「董海っ! 待たれっ!!」
「……いい、関羽。あんなやつ、追わなくても……」

関羽は、倒れた呂澄を抱き起こす。
「呂澄!! しっかりしろ!! 待っておれ、すぐに手当てをする!!」
「……いいよ、もう。俺はたぶんダメだ……」
「縁起でもないことを申すな!!」
血相を変えている関羽を見て、呂澄は弱々しく笑う。

呂澄の傷はとても酷く、董海による、本来は関羽が受けるはずだった深い憎しみの刺し傷は、腹腔にまで達しており、出血がとても激しく、極めて危険な状態であった。

「……なあ……、関羽っ……。俺が死んだら……。俺の……刀に付いてる……、玻璃玉の……っ、房飾り……。お前が……持ってて……たの……む」
「な……突然、なにを申すのだ!」
「関羽、お前は……、俺と違って……この世の中に……必要な人間なんだ……」
「この世に不必要な人間など、一人もおらぬ! 皆、それぞれ意味あってこの世に生を受けるのだ!」
「ははっ……。さすが関羽だよな……。お前……、まだ十八だろ……。よく……そんなすげぇ言葉が出るぜ……」
「喋るな、呂澄!! 傷が広がってしまうぞ」

呂澄の弱々しい瞳から、うっすらと涙がこぼれる。
「……残念……だ……っ……。関羽のその……髭、長くなったの……見たかった……っ……。きっと……、男らしくて……っ……、綺麗だろうな……」
「呂澄っ!! あれからわしは、髭を伸ばしておる……! すぐに手当て致すからな!!」
「……」

しかし、呂澄は、黙って力なく、関羽に笑った。
呂澄の瞳に宿る、命の光が、段々消えていくのが、関羽にはよく分かった。
「……俺は……もう……ダメだ……。でもお前は……生きろよ関羽……お前は、絶対に……すげぇ男になる……っ……」
「!!」
呂澄は、一筋、涙をこぼし、ゆっくり瞳を閉じた。
その途端、呂澄の体から一気に力が抜けて、がくんとなった。

関羽は、ハッとして、呂澄の身体を揺さ振った。
「呂澄!! 呂澄っ!! 目を開けろ!!」
しかし、どれだけ関羽が、呂澄の名を呼んでも、揺さぶっても、呂澄が瞳を開けることは、もうなかった。
それが、呂澄の最期であった……。


次の日。
関羽は、土を掘って、呂澄の亡骸を丁寧に弔っていた。
二度と目を開けない、呂澄の瞳。
呂澄の瞳を見るのが、関羽は好きだった。

「……呂澄……。わしのせいで、このようなことに……。済まぬ。本当に済まぬ……」
関羽は、呂澄の遺体に手を合わせた。
「……わしは、お主の瞳が好きだった。太陽のように煌き、輝いておった……。もう、お主の瞳を見ることは……、出来ぬのだな……」

そして関羽は、呂澄の刀から、呂澄の遺言通り、とんぼ玉の房飾りをそっと外した。
「……」
関羽は、自分の手の中にある、呂澄のものであったとんぼ玉の房飾りを見つめていた。

『へへへ……。親友の印っ! これで、俺と関羽は、一生友だちだぜ!』
『……なあ……、関羽っ……。俺が死んだら……。俺の……刀に付いてる……、玻璃玉の……っ、房飾り……。お前が……持ってて……たの……む』
関羽の脳裏に、呂澄の言葉が思い出された。

関羽は、呂澄を抱き上げた。
呂澄は瞳を硬く閉ざし、顔も青白く、死後硬直のため身体が硬く、生前より重く、そして冷たかった。

関羽は、とうとう、呂澄の身体や顔の上に、土を被せる。
慣れ親しんだ呂澄の姿が、土に返り、完全に見えなくなった。

「……」
関羽は、黙って瞳を閉じ、再び、呂澄の墓前に手を合わせた。

関羽は、何とも言えず複雑な気持ちであった。
呂澄も董海も、大切な仕事仲間のはずだったのに、自分が原因で、それが壊れたと思ったのである。
いくら精神的に強く気丈夫な関羽でも、さすがに今回の惨事は、心が突き刺され、粉々に壊れるようであった。

一人は自分を、殺したいほどとても深く、憎んでいた。
もう一人は自分を庇い、死んだ……。
その事実を受け止めることは、さすがの関羽でも、とても残酷であった。

守れなかった。
……守ることが出来なかった。
どれほど強い武力を持ってしても、大切な人を。
心友を、守ることが出来なかった……。

失った大切なものは、一体どこへ行ったのか?
少なくとも、関羽の手が、決して届かないところへ、消え失せてしまったのは現実である。
生命は儚い。
まるで淡雪のようであった……。

「……!」
関羽は、肩を震わせ、声を押し殺して、涙をこぼした。
滅多に泣かない関羽だが、この時ばかりは泣いていたのだ……。

その時であった。
「お前はそっちを探せ!」
「!」
関羽は、ハッとした。

「関羽長生という男だ。隅々まで探すんだ」
「逃がすなよ!」
小高い山のふもとで、官吏や役人の険しい声がした。
孫傑殺害の被害を聞き、役人が、関羽をお尋ね者として指名手配し、探しているのだ。
「……」
関羽は息を潜め、荷物を抱えて、サッとその場から逃げ出した。

   

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