三国志 〜生と死と心〜

原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     19】 張飛との出会い

こうして、呂澄が亡くなり、関羽が河東郡解県を出て野に下り、二年の歳月が流れた。
関羽は、丁度、二十歳になった。

この二年の間、関羽は、何とか生きてきた。
長く苦しい二年であったが、あっという間に過ぎ去った二年間でもあった。

関羽の口髭や顎鬚、そして頬髯は確実に伸びていた。
関羽は、その成長している髯を、とても大事にした。
呂澄の遺言のようなものでもあるし、髯を伸ばすことで、そこに呂澄の意思が生きていると思えたからである。

そして、タク県の楼桑村の外れに落ち着き、一年前には、関羽の念願の夢であった、学習塾を経営するに至った。
面倒見が良く、子供がとても大好きな関羽には、子供たちに学問を師事することは、とても大きな喜びだったのだ。

そんなある日のこと。
その日は、塾は休業日だったため、関羽は、いつものように、朝の散歩に出掛けていた。
と、その時……。
「ちっげーよっ!! 俺じゃねーって、何度言ったら分かんだよ!?」
若い男の声がした。
「むう……?」
関羽は、声のした方を注目した。

「とぼけるなっ!! お前が、店の商品を盗んだのを、見たやつがいるんだぞ!!」
「これが、人相書きだ!!」
「その目で、よーく見るんだな!!」
若い男が、役人三人に囲まれ、取り押さえられていた。
人相書きを見たその男は、目を見張った。
「……確かに俺にそっくりだよ。けど、俺じゃねーんだ!!」

関羽が、役人たちに咎められている男を見てみると、自分に負けず劣らずの、かなりの長身で、恰幅が非常に良い体格の男であった。
髪が少し茶髪で、焦げ茶色。
まだ生やしたての、ざらざらした無精髭。
かなりの強面の男ではあるものの、その中にも、まだまだあどけなさと幼さがあり、若く、関羽より年下であることは明白であった。

次の瞬間、関羽は、その中に割って入って行ったのである。
「待たれよ。その者は、何もしておらぬと言うておるではないか」
「はあ?」
「誰だお前は?」
「あんた、こいつの知り合いか?」
「知り合いではないが、それはどうでもよいことであろう? しかし、その者は、何もしてはおらぬ」
「そんなこと、なんであんたに分かるんだよ!?」
「その者の瞳を見れば分かる……」
その関羽の言葉は、とても重みがあり、役人たちは黙ってしまった。

「……だがなぁ。ここにこうして、人相書きがあるのだよ。ほれ、こやつにそっくりだろう?」
役人は、困ったように頭を掻いて、人相書きを関羽に見せた。

関羽は、一通り、人相書きを見たが、役人たちを否定した。
「人相書きは、あくまでも人が描くもの。正確なものではない」
「まあ、確かにあんたの言う通りさ。……けどなぁ……」
役人が、先程とは態度を変え、うろたえており、関羽はそれをじっと見て、はっきりと言った。
「ならば、真の犯人が見付かれば、その者は釈放してくれるのだな?」
「もちろんだ!」

と、その時……。
「おお〜い!! 大変だ!!」
一人の若い役人が、割って入って来た。
「なんだ、何事だ。騒々しい!」
「その男は犯人じゃない。真犯人が見つかったんだ!」
「自ら出頭してきたそうだ。盗んだ物品も押収したぞ!」
「え〜っ! 何だって!?」

関羽は、髭を撫でて言った。
「ほれ……。思うた通りではないか。やはり、この者は犯人ではない」
「うーん……」

役人たちは、ばつが悪そうに立ち去ろうとしたが、関羽が引き止めた。
「これ、待たれよ」
「えっ? まだ何かあるのか」
「お主らは役人であろう? 間違えた時は丁重に謝るのが、筋ではないのか?」
「……!」
「そーだ、謝れっ!! こちとら、いー迷惑だったぜ!! ざっけんじゃねー!!」
犯人と間違えられた青年も、怒って役人を睨み付け、役人にどかどかと近づこうとした。

関羽は、静かに彼を諌めた。
「これ、落ち着け……」
「……わ、悪かったな!! ではこれで……」
役人たちは、逃げるように関羽と若い青年を残し、走って行ってしまった。
 
青年は、関羽に頭を下げた。
「どこの誰か知らねーけど、ありがとな。おかげで助かったぜ」
「うむ……。此度は災難であったな」
「あんた、いいやつだな。けど、なんで関係ねえ俺を助けたんだ?」
「困っておる者を助けることは、人として当然の行いだ……。それに、始めてお主を見た時、何故なのか、放ってはおけなかったのだ……」

「あんた、名前は? 俺は、張飛翼徳ってんだ。一応、十五歳! 俺のことは、張飛って呼び捨てでいーからな!」
「ほう。姓が張で、名は飛、か? そして字を翼徳と申すか」
「そーだよ!」
「申し遅れてすまぬ。わしは、姓は関、名を羽。そして字を……」

関羽は、姓名までは、すらりと告げてしまったが、字を言うところで止まってしまった。
「……」
自分は、役人に追われる浪人者の身分であることを、関羽はしばしの間忘れていたのであった。
『関羽長生』という本名を告げてしまえば、いくらこの張飛が黙っていても、いつかは役人に知られてしまうであろう。

「なんだよ? どーした」
張飛が、やや不思議そうに、首をかしげる。
「字を……」

関羽は、少し考え、ふと空を見た。
もうじき、五月になろうとしている晴天の青空に、白い綿雲がはっきり浮かんでいる。
(……雲……)

関羽は、雲を見て心の中で、そう呟いていた。
そして、今度ははっきりと、張飛に向き直った。
「……雲長と申す……」
こうして、関羽の字は、現在の字、『雲長』となったのである。

「関羽雲長? それがあんたの名前!?」
「そうだ……」
「ぷっ……」
その途端、張飛は吹き出して、笑い出した。
「あはは、変な名前〜!」
「変とは何なのだ、藪から棒に失礼な……」
「だってよお……。めっちゃだっせー響きじゃん。聞いた名前が、いきなり『かんううんちょう』だってさ〜! あはははは!! だっせー!!」

張飛が爆笑しているので、関羽はムッとしていた。
「お主、笑い過ぎであろう。……とにかく、わしの名は、関羽雲長だ。全く、初対面で人の名を聞くなり大笑いするとは、なんと無礼な。礼儀がなっておらぬな……」
「わりいわりい、ついな。けどあいにくだったな。俺はあんたみたいに礼儀なんかねーんだよっ。まあいいや。関羽だな。覚えとくぜ」
「関羽だと? お主、年上のわしを呼び捨てにする気か?」
「親しみの気持ちは込めてるつもりだぜ? まあ、殿付けや様付けでも大して変わらねーじゃん!」
「そういう問題ではないのではないか?」

「まー、どー見てもかなり年上そうだけどな〜。関羽、お前一体何歳だ」
「わしは今年で、二十歳になる」
「ええ――っ!? 二十歳だって!? 嘘だろ!?」
「嘘ではない」
「だって、どう見たって、髭ぼうぼうのおっさんじゃねーか!」

張飛にそう言われて、関羽はまたムッとした。
「お主とて、とてもではないが、十五には見えぬぞ」
「なんだよ、俺は本当に十五なんだってば!」

「それにしても、張飛翼徳か。わしの名である、羽という字も、わしの父上が、わしが世に羽ばたき、飛翔することを願って、付けてくださった名だ。お主の名も、飛という字に、翼という字か……。わしと同じような名であるな」
「そういやあ……。そうだな。関羽と会えたのは運命だったのかな?」
「そうであるな……」
関羽は、感慨深く優しい目で、張飛を見た。

そして、そのまま張飛の瞳を見て、関羽は優しく笑う。
「ほう……。張飛。お主、とても良い目をしておるな……」
「は? 目か?」
張飛は、大きな瞳を見開き、パチパチして関羽を見た。

「大きく、前向きな光を湛えておる。どのような苦労があろうとも、それを吹き飛ばすほどの、強く前向きな光だ……。そのような光が、お主の瞳には宿っておる」
「へえ〜。あんまし感じたことねーけど」
張飛が真っ直ぐと関羽を見て答えたので、関羽は少し笑った。
「それはそうであろう。己の顔や瞳は、鏡を見ぬ限り、自分では見れぬからな」
「けど、確かに俺はそーゆー性格だぜ」
「その者の性格は、瞳に光として現れるのだ」

「けどよ、関羽。お前、そんなに髭長く生やして、戦う時に不利なんじゃねーか?」
張飛が、そんなことを言ってきたので、関羽は笑った。
「ははは……。相手には、わしの髯を引っ張るような隙など、一時たりとも与えはせぬぞ」
そんな風に力強く言う関羽に、張飛は感心した。
「すっげー自信! けど、確かに、関羽は強そうなやつだよな!」
張飛が、明るく笑う。
「それに、なんか優しそーだし、しっかりしてそーだし」
「わしも、大体お主の性格は分かっておる」

「そーなんだぁ。会ったばっかでかぁ? 俺ってそんなに分かりやすい?」
「ああ。手に取るようにな」
関羽は、張飛を見ながら笑っている。
「そっかぁ……。あ」

グ〜、ギュルルル……。
その時、張飛のお腹が鳴った。
「うわ……。何だか、腹が減ったかも」
張飛は、恥ずかしそうにお腹を押さえた。
「ははは……。そのようであるな」
「腹、激ペコ!」
「そうか。そういえば、わしも腹が減ってきたな。では、そろそろ昼食とするか。わしがおごる」
「えー! マジかよ。やっり〜!」
張飛は、とても嬉しそうに万歳をした。

初めて出会ったはずなのに、なぜか気の合った関羽と張飛は、その足で、近くの料理屋に向かうのだった。

関羽は丁度、二十歳。
張飛はまだ十五歳。
これが、関羽と張飛が初めて出会った、瞬間であった。

  

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