三国志 〜生と死と心〜

原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     【24】 関羽の苦労

こうして、関羽は、張飛を義弟として、堅く契りを結んだ。
張飛は、この日から、黄巾賊に放火されて見る影もなくなった実家と家族に別れを告げ、関羽の邸宅に一緒に住むこととなった。

しかし、あらかじめ予想していたとはいえ、張飛はとても手の掛かる青年であり、なかなか一筋縄ではいかなかった。
これまで、関羽は張遼の面倒を見てきたので、張遼も弟のようなものであったが、張飛の手のかかりようといったら、ハッキリ言って、張遼以上であった。

ある日、張飛は、狩りに出掛けると言ったきり、戻って来ない。
日が暮れて、もう一時間は経っていた。
現在ではもう午後七時頃となる頃、教え子たちを帰し、既に塾を閉めた関羽は、一人静かに筆を紙に走らせていたが、やがて手を止め、暗くなってしまった空を見上げた。
「遅いのう、張飛は……。一体なにをしておる?」
心配になった関羽は、自分の家の鍵を閉め、張飛を探しに行くことにした。
「張飛!!」

すると、村人の男が、関羽に駆け寄ってきた。
「ああっ。関羽さま。大変なんですよ!」
「これは、一体どうなされました?」
「張飛さんが、居酒屋で酔って暴れて……大変なんですっ!」
「なに、張飛がですか」
「とにかく、早く来てくださいっ! 関羽さまでなくては埒があきません!」

居酒屋では、完全に泥酔してしまった張飛が、店の主人の胸倉を掴んで、乱暴に怒鳴っていたのだ。
「なにやってんだてめえ!! とっとと酒持って来いや!!」
「ひいっ!! お、お客さまっ。ご勘弁を!!」
「ぎゃあっ!!」
「うわあっ!!」
「逃げろーっ!!」

他の客が慌てて逃げ出す中、張飛は真っ赤な顔で、卓上にあった杯を三個、乱暴に払い除けた。
ガァンッ!!
バリーン!!
ガッシャーン!!
木っ端微塵になった杯の破片が、けたたましい音をたてた。

「おいっ! てめー……、今俺にガンたれただろ!!」
「そ、そんな〜!」
「あー! 今も、俺にガンたれたなぁ!?」
「そ、そんな、滅相もございません……!!」
「おー、上等だ。表へ出ろ!!」
「ひいいっ!! だ、誰かー!!」
張飛は、店主を乱暴に担ぎ上げ、外へ放り投げた。

「ちょ、張飛っ!!」
とうとう、関羽は、そんな状態の張飛を発見した。
今にも、泥酔した張飛が、店主に殴り掛かろうとした時であった。

「やめろっ!!」
バッシャーン!!
関羽は、泥酔して酒乱を起こしている張飛に、樽に溜まっていた水を浴びせかけた。

「張飛!! いい加減にせんか!!」
「!!」
「なかなか戻って来んから、探しに来てみれば……!」
張飛は、呆然と佇む。
「お前は、酒を呑んではおらぬ。酒に呑まれておるのだ!」
「んあ!?」

張飛は、我に帰り、関羽を焦点が定まった瞳で見た。
関羽は、腕組みして、大きく一息溜め息を付いた。
「……全く、お前が酒を飲むと、ろくなことがない」
「か……関羽兄貴……」
関羽は、一息付くと、張飛に厚手の布を差し出した。
「……身体が濡れたままでは風邪を引くぞ。水分をよく拭くことだ、よいな」
「悪かった! 兄貴っ!」
「まあ、お前ならば、丈夫な身体だ。風邪など引かぬだろうがな……」

張飛は、まだ酔っ払っているようだ。
張飛を連れ帰る関羽は、ため息をついた。
「お前の酒を止めさせる良い術はないものか……」

酔っ払った張飛は、道端で、関羽の長い顎鬚に顔を押しつけた。
「あ〜。気持ちいい〜」
「こ、これ、張飛!」
関羽は、少し慌てたが、張飛の気持ち良さそうな顔を見ると、とても怒る気になれなかった。
関羽は、フッと優しく笑う。
「まあよい、張飛……。わしの髭で気持ちが良いならば、休むがよい……」
張飛は、関羽の膝枕で、そのまま寝てしまった。
関羽は、張飛の気持ち良さそうな顔を覗き込んだ。
張飛は普段も可愛い一面があったが、寝顔はますます可愛らしかった。
「張飛……」

その時であった。
「……父ちゃん……母ちゃん……」
「む?」
「……兄ちゃん、姉ちゃん……」
張飛は、殺された家族の夢でも見ているのだろうか?
寝言でそう呟いていた。
「……張飛……!」
関羽は、ハッとして張飛を見た。
寝ている張飛の瞳から、一筋の流れるもの。
……涙。
「……!」

「張飛……」
関羽は、じっと、張飛を覗き込んでいた。
そして、フッと優しく笑うと、張飛の涙を拭ってあげた。
「大丈夫だ、張飛。これからは、わしがおる。わしが、お前のそばにおるからな」
家族を亡くした者同士、精一杯力を合わせて生きよう。
そして、自分が張飛を守る。
関羽は、そう決心していた。

それから、二時間が過ぎて、張飛は目を覚ました。
「……あれ……? 俺、一体どうしたんだろ」
「……おお、張飛。やっと目覚めたか……」
「関羽兄貴……俺、もしかして寝てたのか?」
「寝ておった。酔ってわしの膝で、そのままぐっすりとな」
「げー……。恥ずかしーな〜」
「全くお前は、気ままなやつだのう。まあ、良いわ。面白いものが見れたからな」
「なんだよ、そりゃ?」
「張飛の寝顔だ」
「寝顔って……俺の寝顔なんてそんなに面白いんかよ」
「ああ……」
実は、涙を流していたと、張飛に伝えることは、あえてしない関羽であった。

張飛は、その時、ハッとした。
「あり? なんか、兄貴の髭。ここ、濡れてるよーな……。あーっ!!」
「どうした、張飛?」
「やっべー!! 兄貴の髭によだれ垂らしちまったよ!! ひー!!」
張飛は、酷く慌てて、急いで関羽の髭を拭いた。
「張飛……お前というやつは……」
関羽は、少々呆れていたが、張飛が慌てて、関羽の髭にこぼしてしまったよだれを、一生懸命拭く様子を見ていたら、可愛らしく思えて、とても怒る気にはなれなかった。

次の日の朝。
関羽が早起きして、顔を洗い、持っている椿油で髯を整え、櫛でゆっくり梳かしていた。
関羽の髯が、櫛で梳かされ、さらさらとなびいて、あたりに椿油のとてもよい匂いが立ち込めていた。

「ふわぁ〜……」
寝床で寝ていた張飛が、眠そうに起き出し、伸びをした。
「う〜ん! あーっ……。あれ、関羽兄貴……」
「おお、張飛。目覚めたか?」
「うん。しかし兄貴、もう起きてたのかよ。……マジ、いつもすっげー早起きだな〜」
「早起きして、日の光を浴びると、気持ちの良いものだぞ」
「うん。分かっちゃいるけど、どーもなぁ。それにしても、兄貴の髯! いつ見ても、ホントに立派で長い髯だよな。けど、ぶっちゃけ、手入れとか面倒なんじゃねー?」
「ははは……。もう面倒とは思わぬな。この髯は、わしの大切なもの……」
「そーだよな。たしか、死んじまった親友の形見だっけ?」
「そうだ。呂澄の形見なのだ。この髯は、わしであり、呂澄なのだ」
「そーだろーな……」

「だが、張飛……。お前も同じぐらい大切だ」
「ええ? 俺のことをそこまで……? 兄貴にはあんなに、酒のことで迷惑かけちまったから、もう義兄弟の誓いを解消されちまうんじゃないかって、ちょっとそう思ってたんだ」

張飛が頭を掻いて、少し下を向いてそう呟いたら、関羽は穏やかな様子で微笑んだ。
「そのような心配は要らぬぞ。そのようなことはちゃんと見越した上で、義兄弟の契りを結んだのだ。ははは……。全くお前の酒癖の悪さには呆れるが、可愛らしい弟だ」
「兄貴……」

張飛は、少し目頭が熱くなって、涙が出そうになったが、それを飲み込んで、笑って関羽に言った。
「なんか……あんまし覚えてねーんだけど、すっげーあったかかった。でっかくて、すっげー落ち着いて。で、なんか、こう、胸の奥があったかくなって……なんか、そんなものがそばにいてくれて、守られてる気がしてた。……関羽兄貴だよな。俺のそばにいてくれたのは」

張飛は、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「俺の酒癖って、そーとー悪いらしくって。耐えられたやつ、今までいなかったんだ」
「ははは……。わしは、忍耐力は、人よりあるつもりだぞ?」
「兄貴、苦労してそーだもんな〜」

そして、その次の日。
「我が義弟である張飛のご無礼、まことお詫び申し上げる所存にござる。いかようにも償わせて頂きたい」
関羽が、居酒屋の主人に、頭を下げて回っていた。

こんな風に、張飛が至る居酒屋で酒乱を起こして暴走し、その都度、関羽は居酒屋にお詫びしなければならなかった。
義兄弟になるとは、つまりはそういうことであった。

「そうか、関羽さまの弟さんだったんですね。いえいえ、関羽さまにはいつもお世話になっておりますから。いいんですよ」
「あやつには、これより、酒の飲み方をきちんと指導していきますゆえ、まことお許しくだされ」
関羽は、村の皆に慕われていたので、それ以上の大きなトラブルにはならなかったが、それでも関羽の苦労は絶えなかった。

しかし、張飛のような気が荒く、身体の大きな青年を完全に制止出来るのは、関羽しかいないであろう。
それに、張飛は、前向きで正義感が強く、思ったことを素直に言える人間だった。
時と場所をわきまえない場合も多かったが、関羽は、そんな張飛を、ある意味尊敬していた。

「張飛。お前はまず、酒を飲むのが早すぎるのだ。それでは酔いが回るのも早くなり、身体が持たぬぞ」
「そうかあ?」
「ああ。見ておるとそうだ。酒にはな、人を酔わせる成分が含まれておる。少量ならば冷えた身体が温まり、病気や冷え症などを改善したりする。酒は百薬の長とも言うからな」
関羽は、名前こそ知らないものの、アルコールの存在は知っていたのである。

「しかし、身体の中に一度に、酒を入れてしまうと、その酔わせる成分の濃度が上がってしまうぞ」
「へー、そーなんだ。そんなこと知らなかったぜ。関羽兄貴は何でも知ってるんだな」

張飛はニコニコしている。
「なあ! 関羽兄貴はなんで、そんなに金持ってんだ?」
「余計なものには、一切金銭を使っておらぬからだ」
関羽も、笑って答えた。
「そうだな。例えばお前のように、湯水の如く酒やつまみに金銭を使っておっては、貯まる金銭も貯まらぬな」
「あ〜! 言ったな! 酒とつまみは、余計なもんじゃねーもん!」
「少しならば良いが、お前の場合、程度を知らぬからな」
「意地が悪いぜ。兄貴は〜!」
張飛はむくれている。

   

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