三国志 〜生と死と心〜

原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     【26】 思わぬ再会

その一週間後。
関羽が、商店街に食材を買いに行った時のことであった。

「おお、これは許保殿!」
「これはこれは、関羽さま。ご精が出ますね」

先日、関羽が囲碁を教えていた許保が、ニコニコしていた。
許保は、この商店を経営しており、関羽はいつもここに買い物していたのだ。

「いや、わしのほうこそ、いつも食材を頂き、ありがたく思うております」
「なに言ってるんですか! お礼言うのはこっちですよ。いつも指導碁をお願いして頂いている上、店にもこうやってごひいきくださるんですから。それにしても関羽さまは、やはり碁がお強いですねー。まだお若いのに、大したものだ」
「ははは……」
関羽は、照れ笑いをして髯を撫でた。

「では、関羽さま。塾の子供たちに食べてもらうのでしょう? 今回は特別に、菜っ葉を大量に仕入れておきましたよ」
「おお、これはありがたい。では、その菜っ葉を全て頂きますかな」

関羽は、懐から巾着を取り出した。
その中には金子と貨幣が入っている。
「いやあー、これはどうも。毎度ありがとうございます!」
許保は頭を下げて、関羽からお金を受け取った。
「帰ったら、張飛くんが全部、料理するんでしょ? 彼、料理がとてもうまいから羨ましいね」


関羽は、買ったばかりの菜っ葉を大事に抱えた。
みんな、自分たちもそうだが子供たちのためのものだ。
関羽は、おなかをすかせた子供たちに、当時としては珍しく塾に給食制度を導入し、その分も授業料の中に組み込んでいて、結果的には子供たちの家の家計を軽減していた。

すると、その時のこと。
関羽は、ある一点を見て、仰天し目を見開いた。
「!!」

人がごった返している商店街であったが、その中に笠をかぶった少年が、遠くを歩いているのが見えた。
その少年は、伏し目がちに歩いていた。
「あ……あれは……!」

紛れもなく、それは彼だった。
瞳が曇り、髪が少し伸びて、少々やつれはしたが、紛れもなく……。
「董……海……!」
関羽は、かつての同僚に目を見張った。
「董海!」

しかし、関羽は董海を見失ってしまった。
「ぬう……」
関羽は、董海が生きていたことに安堵したが、同時に複雑な気持ちが蘇ってきた。
董海との間柄は、もう触れてはいけないものなのではないかと思っていたからだ。
関羽の脳裏に蘇る、思い出すのも辛い過去。
なにせ董海は、過去に関羽を殺そうとしたのだ。

董海の複雑な表情。
自分に向けられた、激しい憎悪の刃。
その刃を代わりに受けて、永遠に帰らぬ人となった心友、呂澄……。
(生きておったのか……董海……)


関羽は、自宅に帰ってからも動揺していた。
「張飛……?」
どうやら、張飛はいないようだ。
今朝は狩りに行くと言っていたので、きっと山から戻っていないのだろう。
「……」

もし、董海がこの楼桑村にいることを、張飛が知ってしまったら……。
張飛の性格をもう十分に分かっている関羽は、それを隠そうとしていた。
(わしは……一体どうすればよいのだ……)
さすがの関羽も、この時はまだ二十歳。
どう対処すればよいのか分からずにいた。

その夕方、張飛が帰宅してきた。
そしてその夜のこと。
「兄貴。夕メシ!」
「……」
「おい、兄貴っ!」
「おお、済まぬな。張飛」
「夕メシ出来たぞ」

関羽と張飛は、いつものように夕食を取っていたが、関羽は全く黙ったままだった。
「……」
寡黙な方である関羽は、あまりペラペラ喋る人間ではないが、この日の関羽は、いつもと違っているような気がした。

そんな沈黙を破ったのは、張飛だった。

「兄貴。なんか今日、変だぜ?」
「そうか?」
「疲れてんのか?」
「いや。わしならば大丈夫だ」
「そーかなあ。なんか、話しかけても上の空だし」
「済まぬな……」
「知らねー間に疲れ、溜まってんのかも知れねーぞ。毎晩遅くまで、あいつらの宿題、添削してんじゃん。それに、遅くまで本、読んでるみてーだし」

張飛は、心配そうに関羽を見た。
「そりゃー兄貴は、つえーけど。いくら男だって神さまじゃーねーんだからさ。たまには休めよ」
「ははは……そこまで気遣って貰うとは、ありがたいことだ」
「俺が代われるんなら、代わってやりてーけど……」
「ありがたいことだが、張飛には厳しいであろう」
「うっ……」
張飛は言葉に詰まって、黙り込んでしまった。
張飛は、やはり学問は苦手である。
「わ、わりい。兄貴」
「気持ちだけ受け取っておくぞ」

そして、三時間後。
家事をきちんとやり終えた張飛は、その後も酒を飲んでいて、酔っ払ったせいもあり既に寝ていた。
しかし、関羽は、別の部屋で未だに明かりを点けている。
「……」
やはり関羽の脳裏には、昼間の光景、一瞬だが目に飛び込んできた、董海らしき青年の顔があった。
さすがの関羽でも、いつも頭に入っている春秋左氏伝が頭に入りにくかった。
(あれは……確かに董海……だが、こんなところにおるはずが……)
昼間見たものを、関羽はもう一度よく思い出していた。
(見間違いか……張飛が言うように、疲れが溜まっておるのだろうか……。だが、あやつは、よくある顔ではない……)

確かに、張飛が言うように、最近夜遅くまで頑張っている関羽であった。
疲れが溜まっていることは、関羽自身にも分かっていた。
(今日はもう添削も終わったのだから休むとするか。このような心では、春秋は頭に入らぬ……)
関羽は、それ以上は考えないようにして、休むことにしたのだった。


次の日は、関羽の塾は休業日であり、張飛と食料の買い物に行ったときのこと。
関羽は、いつも許保の店に足を運んでいた。

許保がニコニコ笑って、関羽たちを出迎えた。
「いやー、関羽さま。先日も完敗しました!」
「いや、許保殿も、随分と石の筋が良くなってまいりましたな」
「いやいや、関羽さまには敵いませんよ〜! 本当にお強いですなあ。また、指導碁お願いしますよ!」
「もちろんでござる」

関羽は、髯を撫でながら、許保にニコニコ笑って頭を下げた。
そんな関羽と許保を見て、張飛は少しつまらなそうであった。
「ちぇー。つまんね。俺、碁なんて分かんねーな……」

「そうそう! 実は今日から、ウチに新入りが入ったんだ!」
「ほう。新入りですか?」
「おーい!」
「!!」
その新入りの顔を見た関羽は、驚きのあまり目を見張った。

「董……海……!」
バラバラバラバラ……。
関羽は、動揺するあまり、持っていた金子を落としてしまった。
董海も、凍りついてその場に立ち竦んだ。
「か……かん……う……」

「お、お主……」
関羽が次の言葉を話しかけようとすると同時に、董海は突然大声を上げた。
「うわああああ!!」
「!!」
董海の大声に、その場の一同はびくりとした。

董海は、反射的にその場から逃げ出し、入り口付近にいた、張飛を押しのけた。
ドン!
「うわっ!」

あっという間の出来事に、張飛は驚き、怒る暇もなかった。
「なっ、なんだあいつ!? ……兄貴?」
張飛はきょとんとして、関羽を覗き込んだ。
関羽の身体は小刻みに震えている。
いつもの関羽ではない。
張飛と許保は、慌てて関羽に駆け寄った。
「おいっ、兄貴! 大丈夫かよ!?」
「関羽さま!?」
張飛も許保も、こんな関羽を見たのは、今日が初めてであった。

「関羽さま、お気を確かになさってください。……董海と知り合いだったのですか?」
「……」
関羽は、答えることが出来ない。

「あっ!」
その時だった。
怪訝な顔だった張飛が、突然思い出して叫んだ。
「そーいやあ、思い出したぞ。董海って確か……!」
張飛は、とうとうピンと来て、分かってしまっていた。
「あいつか……! あいつが董海だな!!」
張飛は、次の瞬間、董海を追いかけた。
「待ちやがれっ!!」
「張飛っ!!」

   

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