三国志 〜生と死と心〜

原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     【30】 関羽と藍泰の約束

逃げても無駄だと悟った藍泰は、次の日から、しぶしぶ、関羽の塾に通い始めたが、やはり周りの子とうまくいかなかった。
藍泰は、さすがは三度も他の塾を追い出されている問題児だけあって、自己中心的の上、勝手な性格で、いつも弱い子をいじめてしまっていたのである。

しかも、藍泰は、周りの子たちより、身長も高くて、身体が大きく、そのため反発しても藍泰には敵わず、みんな藍泰に逆らわなかった。
みんな、藍泰にいじめられぬよう、ビクビクしていたのだ。
藍泰の唯一の成長点といえば、関羽を「あんた」ではなく、取り敢えず「先生」と呼ぶようになったことぐらいだった。

「では、先日の続きを始めることとする……」
「はーい!」
関羽が、授業を始めようとした時。
一番後ろの席で、藍泰が、関羽の授業などそっちのけで、寝てしまっていた。
「むう……藍泰め。まったく、堂々と眠りおって……」
関羽は、顔をしかめると、藍泰のいる一番後ろの席へ歩いた。

「これ、藍泰。起きよ」
「ぐーっ……すーっ……」
藍泰は、関羽の声など聞こえず、気持ち良さそうに寝息を立てている。
関羽は、寝ている藍泰の肩を揺さぶった。
「起きよ、藍泰!」
「んあ〜?」
藍泰は、眠そうな目をこすり、気だるそうに関羽を見上げた。
しかし、またすぐに、机上に伏せて寝に入ってしまった。
「……おやすみ〜……」
「これ、藍泰! 再び寝るな!」
「……だったら、もっとおもしれー授業しろっつーの〜……」
藍泰は、半分寝た状態で、余裕で関羽に溜口を叩いたが、そんなことで負ける関羽ではなかった。
関羽は、目を細め、冷ややかな口調で藍泰に言う。
「ほう……。良いのだな? そのようなことを申しても……。お主。そんなことを言おうものならば、後が怖いぞ」
「はっ!」
藍泰は、それを聞いてがばっと起きた。
また、居残りを命じられ、大変な掃除や、難しい本を読めなどと言われたら、たまったものではない。

「まったく……、呆れたものよ」
藍泰の様子に、関羽は呆れたように顔をしかめた。
こんな風に、藍泰は授業中に寝てしまったりするような問題を起こしていた。
しかし、関羽は心が広く、寛大であった。
「だが、取り敢えず、我が塾にきちんと来ておるだけでも見込みがある。授業態度が怠慢なのは大目に見て、よしとするか……」

その日、授業が終わった藍泰は、先日の悪友、朱政と話していた。
「藍泰。どーよ、例の塾は?」
藍泰は、非常にかったるそうに言った。
「もちろんだりーよ、さっさと辞めてー……」
「あー、わかるわかる! 勉強ってかったりーしなぁ」
「あーあ。塾行くの、マジだりーなー……」
「じゃー、バッくれればいーじゃん」
「もう、バッくれた。この前、初日にバッくれて塾サボったんだけどさ。この前話した塾の先公が、俺を連れ戻しに来やがった……」
「え、先公が? 先公って……この前言ってた、髭おばけ?」
「そーだよ! そいつだよっ!」
「おめー、巻けなかったのかよ?」
「そんな暇はなかったぜ!」
「へー。藍泰ほどのやつなのに、逃げらんねーなんてすっげーじゃん。おめーに負けてねー先公だな。……なんて名前?」
「関羽雲長ってんだよ。字が雲長」
「はぁ? かんううんちょう!? あはは、なにそれ。変な名前〜!」

朱政は、ケラケラ笑って言った。
「あはははは〜! かんううんちょうって……どんな字を書くの?」
「説明すんの面倒くせーな……。関所の関に、鳥の羽。雲に長いっていう字だ」
「はー、それで、関羽雲長? うあ〜……単純な名前だな〜」
「いや、名前は単純だけど、なかなか敵わねーっつーか、厄介なやつなんだよ……」

藍泰は、関羽を脳裏に思い出し、しぶしぶ語る。
「あいつさ。かなりはえー足で、俺のこと追っかけて来やがって、俺がつい転んじまって、やつに捕まっちまったんだけど、転んだ怪我の手当てされた。わけ分かんねー……。おまけに、こっちのいたずらも全部見抜かれるしよ〜……」
「へえ〜……、そんなやつなんだ?」
「これまでの先公はさ。バカなやつばっかだったけど、あいつはなかなかこっちの思う通りにいかねーっつーか、あの髭ぼーぼーな顔して、なかなか頭のキレるやつで、巻けねーっつーか。やったらおっかねー感じで、苦手なやつ……」
「へー。ま、今回も、塾なんか、拒否ってればいーじゃん。よゆーだろ、おめーなら」
「ん……。けどさ。なーんか、あいつに逆らうと、怖そうな気がしてさ」
「どーしたんだよ、藍泰。先公如きに怖気付くなんて、おめーらしくねーなー……。その関羽って先公、そんなにこえー先公なんかよ?」
「まー、でけーやつだし……。でも、でけーってだけでこえーんじゃねーよ。なんかな……。あいつの空気……つーか、気迫? みたいな? それが怖い。特にあいつの瞳……。迫り来るもんがあんだよ」
「ガン垂れるんなら、おめーだって得意じゃん」
「いやー、やつの場合は、そんな可愛いもんじゃねーんだよ……俺の直感ってやつかな。なんか、あいつを甘く見たら、やべー気がする」
「へえ〜。先公泣かせのおめーが、そこまで言うんなら、そーとーすげー先公だな」
「けどよー……。やっぱ、苦手だわ。俺、塾って性に合わねーな。とにかく! あの先公。あいつは天敵だぜ」
藍泰は、関羽の見ていないところで、関羽のことを言いたい放題であった。

また、それだけではなく、藍泰は様々な問題を起こしていたのだ。
どうやら、今日は、学童舎の庭で、藍泰が、同じ関羽の塾の生徒の一人である、周駿から借りた本を、未だに返さないことでもめていたのだ。
「藍泰。いい加減、僕の本返してよ〜」
「うるさい! お前、俺に逆らっていいと思ってんのか!」
藍泰は、意地悪そうに言う。

周りの子たちは、藍泰を止めようにも、怖くて止めることが出来ず、いつも関羽のところに駆け込んでいた。
「関羽先生!」
「来てください!」
「む、どうしたのだ?」
「喧嘩です、藍泰と周駿が」
「むう……。また藍泰か」
関羽は、顔をしかめ、立ち上がった。

その頃、藍泰と周駿は、まだもめていた。
気弱な周駿も、さすがに声を荒げる。
「でも、今日は本を返すって、約束してくれたじゃないか!」
「へん! 約束なんか、破るためにあるんだよ!」
藍泰は、開き直った。
「そんな〜……困るよ」

「これ! またか、藍泰。意地の悪いことはやめんか!」
関羽が、藍泰と周駿の仲裁に入った。
「関羽先生っ!」
周駿は、関羽の姿を見て、少し安堵していた。
「聞いたところによれば、お主、借りたものを返しておらぬそうだな。約束を破り、借りたものを返さぬとは、何たることか!」
「そんな約束、俺にはカンケーねーよ!」
「関係ないとは何事か。大いに関係があるであろう。藍泰が返さぬことで、この周駿が困っておるのは、事実なのだぞ?」
「そんなの、俺にはカンケーねーって言ってんだろ!」
「藍泰。お主、自分さえ良ければよいというのか」
「人間、誰でも利己的だろーが!」
「そんなことはない。人が完全に利己的ならば、世は回っていかぬ」
「こんなことぐらいでうだうだ言ってんじゃねーよ! こんなちっちぇー約束。破ったって大したことねーだろーが!」
藍泰は、突っ張ってしまい、全く引き下がる気配がない。

「藍泰!!」
関羽は、大きな手で、藍泰の両肩をがっしり掴む。
関羽が大きな声を上げたので、さすがの藍泰も、反射的にびくりとした。
「!!」
「こんなことぐらい……ではないぞ。それで周駿が、とても困っておる」
関羽は、真っ直ぐに、藍泰の瞳だけを見て言葉を続けた。
「藍泰。約束とは、守るためにするのだぞ!」
黙っていた藍泰は、何とか反論しようとした。
「……でも、大人だって、約束破ってばっかじゃんか! 綺麗事ばっか言っちゃってさ」
「藍泰のような考えを持つ者が、そのまま、約束を破るような大人になってしまうのだ! わしは、そのような者は好かぬぞ!」
関羽が目をつり上げたので、藍泰は少しビクリとしていた。
関羽は、普段は冷静で穏やかだが、怒ると怖かったのである。
藍泰は、関羽と知り合って数日は過ぎていたため、そのことは分かっていた。

関羽は、藍泰に言葉を続ける。
「守れぬ約束ならば、始めからするな! しないほうがまだよい。もし自分が、周駿のようなことをされたら、どう思うか。腹が立つであろう? 逆の立場になって考えろ」
「そりゃー、頭に来るけど……」
「そうであろう。約束というものを軽く考えるな。どれほど小さな約束であろうと、約束は、守るもの。それを果たし全うしてこそ、意味があるのだ」

関羽は、厳しい顔で、藍泰を諭す。
「とにかく、明日、周駿に本を返してやれ。よいか」
「じゃあ、そこまで言うなら、関羽先生は、約束を守るのかよ?」
「ああ、もちろん守る……」
「それなら、俺が困った時、助けてくれんだろーな?」
藍泰は、関羽を挑発的な瞳で見た。

関羽は、藍泰を真っ直ぐ見下ろして、うなずいた。
「約束しようぞ、藍泰。お主が本当に困った時、必ずやお主を守り、助けると。この関羽、ここに誓ってみせようぞ……」
「絶対だからな!」
「その代わり、藍泰も、わしと約束するのだぞ。もう、誰もいじめず、皆と仲良くするとな……」
藍泰は、俄かには信じられないという感じで、関羽をじっと見上げた。
「……分かったよ」
「よし、良い子だ。これは、男と男の約束であるぞ。よいな……」
関羽は、そんな藍泰を見下ろすと、静かに笑って、藍泰の頭を優しく撫でた。
「……!」
藍泰は、びっくりした。
親でさえ、自分の頭を撫でたことがなかったのである。

そして、関羽は、その場にいた他の子供たちに言う。
「さあ、皆の者。そろそろ授業を始めるぞ」
「はーい!」
みんなが、教室へ歩き出した。

一方、藍泰は複雑な気持ちであった。
(へんっ! 約束なんか、関羽先生だって守るもんか! 俺の母ちゃんだって、約束を破ったことがあるんだからな……。飯食わせてくれるって言いながら、食わせてくれなかったり……)
しかし、藍泰は、先程の関羽の、深く真っ直ぐな瞳が、脳裏に焼き付き、どうしても忘れることが出来ずにいた。
そして、さっき、関羽が、大きな手で自分の頭を撫でた、温かい感触も……。

「……」
藍泰は、さっき関羽に撫でられた自分の頭にそっと触れた。
まだ、関羽の手の、大きな温かい感触が残っている。

一方、関羽は、そんな藍泰を、特にその瞳をちゃんと見ていた。

次の日。
「おい、周駿」
藍泰は、一冊の本を、黙って周駿に手渡す。
「え……、藍泰、これは?」
すると、藍泰は、声を押し殺して言った。
「なに言ってんだ。お前の本だろ。返すよ……悪かったな」
「え。う、うん。ありがと……」
周駿は、きょとんとして、本を受け取ったが、藍泰は、そのまま、ぶっきらぼうにプイッとそっぽを向いたが、それ以上なにもしなかった。
彼なりに、不器用ではあるが、関羽との約束を守っていたのだ。
そして、そんな藍泰の様子を、関羽はちゃんと見守っていたのである。

ところが、藍泰の問題児ぶりは、ここで終わりではなく、むしろ始まりに過ぎなかったのである……。

   

拍手ボタンです!\(^0^)/
お気軽にポチッと、どうぞ!(^^)v

inserted by FC2 system