原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     】 関羽の過去

それから三十分ほどが経ち、劉備がハッとして起き出した。
「あっ……」
そんな劉備を、関羽が覗き込む。
「おお。目覚めましたか、兄上?」
「……ああ、関羽殿。すみませんね」
「いや、謝る必要などございませんぞ」
「……あれ? 僕……こんなところで寝てたっけ? えーと……」
劉備は、思い出そうとして頭を掻いた。

そして、劉備は、自分に厚手の布がかけられていることに気が付いた。
「あれ、この布……。もしかして、関羽殿が僕を運んで、布をかけてくれたんですか?」
「……はい。さようでござる」
「ひえ〜。これはとんだご迷惑をおかけしてしまって、ごめんなさい!」
「いや、宜しいですぞ。そのまま寝てしまわれては、お風邪を召されてしまいますからな」
「あはは……。確かにそうですね。うーん……」
そう言いながら、劉備は腕をぐるりと回していた。

「おお、兄上。さぞかしお疲れでしょうな。お肩を揉みますぞ」
「わあ、関羽殿。ありがとうございます」
関羽は、劉備の後ろに回り、その肩を揉む。

そして関羽は、静かな様子で言った。
「細い肩ですな……」
「うーん、関羽殿や張飛殿に比べれば、そうですね……」
関羽は、劉備に軽く頭を下げる。
「これは失礼致した。しかし、兄上。この細い肩にお一人で抱えず、いつでもわしや張飛を頼ってくだされ」
「ありがとうございますね」
劉備は、関羽を見上げて、にこにこ笑った。
関羽も、穏やかな様子でにこにこ笑っている。

「どの辺りが、こっておいでですかな?」
劉備の肩を揉みながら、関羽が優しく、劉備を覗き込んだ。
「う〜ん、もうちょっと下かな? ……もう少し左。ああ、そこです! いやー、気持ちいいなぁ〜……」
「ははは……」
「ごめんなさい、注文がうるさくて」
劉備は、軽く頭を掻いて照れ笑いをし、関羽が、そんな劉備の様子を見て笑っていた。

「そうだ。関羽殿も、お肩を揉みますよ。こう見えて、僕も肩揉みは得意なんです」
「これはありがたい。では遠慮なく頼みますぞ、兄上」
「はい!」

関羽は、静かに笑って、劉備の前に座った。
座っても、関羽は長身のため、座高も大きく、その肩は広かった。
「わあ……、関羽殿のお肩は、広くて大きいなあ……。僕の父は、僕が物心つく前に亡くなってしまったそうなんですが、父の肩も揉みたかったな。きっと関羽殿みたいだったんだろうな……」
「そうだったのですか。だが、失礼ながら、それがしほど図体が大きくはなかったのではなかろうか?」
「あはは、そうでしょうね。でも、父の肩の広さは、皆一緒だと思いますよ」

「ところで、関羽殿も、その剣に房飾りを付けていらっしゃるんですね。青龍偃月刀の方にも、お揃いで同じものを付けていらっしゃいましたね。なかなかお洒落なんですね」
「いや……これは、……一つは、元々はそれがしのものではありませんでした」
「え? では、どなたの……」
「……」

関羽は、少しの間沈黙して、やがてフッと笑い、劉備に答える。
「それがしの、大切な心友の持ち物だったのです……」
「え? ……心友?」
「はい……」
「この玉は、玻璃玉(はりだま)という玉だそうで、このような七星文様が付けられておる玉は、戦国玉と呼ばれるそうです……。なんでも、春秋時代に創られたものと……」
関羽の説明する玉は、日本では『とんぼ玉』という、二色以上の色ガラスで複雑な文様を付けたガラス玉で、現代でも注目を浴びるガラス工芸品、美術品である。

「……その心友は、今どこに……?」
「それは……」
関羽は、寂しそうな顔をして、沈黙してしまった。
「……あ……」
関羽のその顔だけで、劉備は何かを察知した気がした。
関羽には、過去に相当重いことや、苦しいことがあったことを……。

劉備は、思わず、涙をこぼした。
「如何なされた、兄上?」
関羽はハッとして、心配そうに劉備を覗き込む。
「あ! ……ごめんなさい。つい」
劉備は、自分の涙を拭いた。

「……どうやら関羽殿は、過去にかなりお辛いことがあったようですね。でもこれからは助け合いましょうよ。関羽殿の痛みや苦しみ、お一人で抱えず、僕にも分けてください。……僕は、頼りないかも知れないけど、関羽殿の兄ですから……」
「……兄上。そのお優しい御心、まこと嬉しく思いますぞ。それがしのために泣いてくださるとは……」
「これからは、悲しい時は一緒に泣き、嬉しい時は一緒に笑うんです」

劉備は、そこで思いついたように、関羽に聞いた。
「ところで、関羽殿。先日はなぜ、あの黄巾の青年を説得したのですか?」
「黄巾の青年、とは……?」
「ほら、あの僕を殺そうとした、頬に傷のあった彼ですよ……」
「ああ……、私事になってしまうのですが、……あの黄巾の者が、それがしの塾におる教え子とかなり似ておったものですから、ついあのようなことを申してしまったのです」
「へえ……。関羽殿の生徒さんとですか?」
「はい……。かなり手がかかる子だが、とても可愛い教え子でしてな」
「そうですか……」
「その子も、それがしの塾に来たころは、初日から塾を無断欠席したり、悪さをしたり……、ほとほと困らされました。しかしなかなか思いやりがあり、繊細な良い子です」
「へえ……」

「人間、生まれて来る時はみな純粋ですからな。生まれた時からの悪人なんぞおらぬ。例え現在、世間を苦しめる役人や宦官でも、生まれて来る時は皆同じです。あの黄巾の者も、途中で道を間違えなければ、あのようなことにならずに済んだものを……と思ったのです……。ははは、あの者の命を奪ったのは、他でもないそれがしですがな……」

関羽は、力なく自嘲気味に笑い、やがて少し寂しそうに呟いた。
「そう、あの者の命は、それがしが奪った……。その張本人が、何を、戯言を言うておるのか……笑ってしまいますな……」
「関羽殿は、本当に心が優しいなぁ……」
「どうも、それがしは昔から、情に絆されてしまう悪い癖がありましてな。張飛に甘いと言われても仕方あるまい……」
「そんなことないですよ。この殺伐とした世の中で、関羽殿のような、心の優しいお方は貴重ですよ。そんな関羽殿の兄になれるなんて、やっぱり僕は幸せです」
そう言って、劉備は優しく、にこにこ笑った。



「兄上こそ、御心がとてもお優しいですな……。今の兄上のお言葉で、それがしは心が救われる思いが致しました」
劉備と関羽は、笑い合っている。

「如何なる理由があろうとも、人を殺めることは、この上なく重いこと。それを分かっておったはずなのですが……。守るためとはいえ、今回もまた、それがしは、あれほどの人を殺めてしまった。実はそれがしは、人を殺めることは、本来好まぬのです……」
「ですから、これから、誰も殺し合わずに済む、平和な世の中を築いていきましょうよ。関羽殿のようなお考えは、僕だって同じですよ。何もおかしいことではありません」

「ところで、張飛殿は?」
「張飛ならば、あそこで寝ております」
「え?」



劉備と関羽は、酔っ払って寝ている、末弟の張飛を優しい顔で覗き込んだ。
「あはは……。張飛殿は強そうな顔つきなのに、寝顔が可愛らしいなぁ」
「そうですな。いつもこのように、酒に酔って寝るのが、こやつの悪い癖ではありますが、それがしも、とても可愛らしいと思うております」
「そうですか。しかし本当に可愛らしいな。先日、黄巾賊と戦っていた時は、あれほど凄かったのにね」
劉備は、思わず、張飛の頭を優しく撫でていた。
「そうですな。見かけによらず、こやつは非常に可愛らしいのです……」
そう言って、関羽も、張飛の頭を優しく撫でてあげていた。

それから、更に二時間ほど経った。
劉備も張飛も、月夜の中に寝に入っていた。
しかし、関羽だけが、なかなか寝付けずにいた。
もう、現代の時間で言えば、夜中の三時を回ろうとしていた。

関羽は、劉備と張飛を覗き込んでいた。
その時、張飛が口をもごもごして、寝返りを打った。
「う〜ん……」
「む、張飛?」
関羽は、張飛の様子を伺っていた。
「……や……焼き豚食いてーよお〜」
「な、何?」
関羽はきょとんとして、細い目を見開いた。
「がー……、ごおー……」
しかし、それは単なる寝言であった。
「……寝言か。全くお前は。夢の中でも、何かを食べておるのか?」
「んがー、んごー……」
張飛は、それ以上何も言わず、いびきを立てていた。

「寝たのか、張飛……?」
「んがあ〜……」
張飛は、もう、いびきを立てて完全に寝ていた。
「春とはいえ、まだ夜は寒い。風邪を引くぞ」
関羽は、ほうっと小さくため息をついて、寝ている張飛に布をかけた。

「……」
空には、青い月が出ている。
月夜の闇に咲く桃の花が、夜風に揺れた。

関羽は、その時、一粒の涙をこぼした。
「……」



誰も見ていない、関羽の涙は、月光を反射し、一瞬青白く光りながら、皆に知られぬようにと静かに流れ落ち、月夜の闇に消えた……。

劉備と張飛は、並んで、関羽の傍らで寝ていた。
関羽は、静かな瞳で、兄と弟を見守っている。

(……思えば、これまでわしは、いろいろなことを経験したものだ……)
月光を浴びて、関羽は、静かに瞳を閉じて、自分の過去を振り返っていた。

   

拍手ボタンを設置しました!\(^0^)/
お気軽にポチッと、どうぞ!(^^)v

inserted by FC2 system