三国志 〜生と死と心〜

原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     17】 流浪の関羽

こうして関羽は、役人から逃れるように野に下った。
青龍偃月刀を傍らに……。

南華仙人から授かった、この青龍偃月刀は、人を惹き付ける強い霊力を持つ、神々しさ、そしてある意味恐ろしさも持つ神刀であった。
邪気や悪を断ち切る、青龍偃月刀の青い光に魅入られた敵が引き寄せられ、その闇を切り裂く、光と刃の前に倒れる……。

関羽に降りかかった悲劇は、呂澄を失ったことだけではなかった。
その頃、関羽の両親は、関羽が孫傑を斬ってしまった罪を被り、無残にも処刑されてしまったのだ。
当時、縁座(えんざ)といい、罪人やお尋ね者などの両親など、当事者の親族であるだけで、彼らまで罪を問われ、処刑されることが多かったのだ。
そのように、現代よりもかなり厳しく、無情で理不尽な世の中であった……。

「関羽……。孫傑は、相当に卑劣な詐欺や殺人を働いていたという。それを成敗したのだから、我らはお前を誇りに思っている……」
関羽の両親、関悦と関羽の母親は、息子の正義感に納得し、処刑されたのだった……。

その時の、関羽の悲しみは、如何ばかりであっただろう?
関羽は、心友だけではなく、両親まで、いっぺんに失うことになってしまったのだ……。
関羽の心の中は、心友と両親を、自分が殺してしまったという、絶望感でいっぱいであった。

流浪の身となった関羽は、来る日も来る日も、東へ歩いていた。
目指す宛などなかったが、自分のしたことは、それだけ重いことであったのだ。

しかし、あの時の自分は、孫傑を斬らねば、いられなかったのである。
正義感がとても強い、関羽だからこそであった。

行けども行けども、荒野が広がるばかり。
ここは中国、あまりにも広い大国である。
島国である狭い日本とは、あまりにも規模が違いすぎた……。
この流浪の旅が、終わる日などあるのかと、関羽は日々、疑いつつ歩いているのだった。


全財産を所持しているものの、関羽はあまりお金を使いたくなかった。
関羽は、周りに誰もいないことを確かめて、所持金を数えていた。
「仕方あるまい。今夜はここで野宿だ……」
関羽は、一息大きくついて、火を起こし、木の枝と糸で器用に釣竿を造り、近くの小川の魚を釣っていた。

今釣ったばかりの魚が焼けて、香ばしい、美味しそうな匂いがしてきた。
火からパチパチと音がする。
「……」
関羽は、火を見ながら、これまでのことを思い出していた。

とても心優しく、多趣味で、教養深かった父親、関悦。
厳しく聡明で、その中に深い優しさがあった、母親。
関羽の優しさと思いやり深さは、関悦に似て、厳しさや義理堅さは母親に似たのだろう。

つい昨日のことのように思える、少年の時。
可愛い張遼とよく遊んだものだった。
張遼の笑顔。
そして、別れる時の、張遼の悲しそうな顔と涙。

呂澄の屈託のない笑顔。
孫傑の邪悪な笑いと、彼を斬ってしまった時の、腕に伝わった、命を奪う重さ。
董海の微妙な顔と、自分に向けられた憎しみの顔と涙。
そして、自分を庇い倒れた、死に際の呂澄と、死後の呂澄の冷たい顔と身体……。
関羽には、全てが鮮明に思い出された。

そして、残酷なことに、関羽は、その愛する者たちを一度に失ってしまったのだ。
関羽は、ここで瞳を閉じた。
「天の神よ。願わくは、せめて我が夢の中だけでも、我が心友、呂澄真英に会わせて頂きたいものよ……」

関羽のその願いは、神に通じたようだった。
たった独りで、ゆっくり眠りに着く関羽の脳裏には、ぼんやりと、懐かしい呂澄の笑顔が見える。

『……んう……』
『む?』
『か……んう……』
『その声は……! りょ……呂澄か!?』
『関羽……?』
『おお……! まことに呂澄なのだな!?』
『関羽か……! 久し振りだな!』
『呂澄。どれほどお主に会いたかったことか! わしは、お主に言っておらんかったことがある。わしの命を救ってくれて、心から感謝致す。そして、本当に済まぬ……!』
呂澄は、ぼんやり光って、寂しそうに笑う。
『俺……。もう行かなきゃならねーんだ……。関羽、ごめんな……』
『こ、これ、呂澄。……何処へ行くのだ? 待たれ、呂澄!』

「呂澄っ!?」
関羽は、ガバッと飛び起きた。
辺りは、あまりの静けさに静まりかえる。
「……おお、……夢であったのか……」
関羽は、静かに天を見て、挨拶し、頭を下げた。
「神よ、有り難き幸せにござる。我が願いをお聞き届け下さったのですな……」

その時。
関羽は、何かに気が付き、ハッとした。
確実に、何かがいることに気が付いたのだ。
関羽は、表情を険しくして、素早く青龍偃月刀を構えた。
「……狼か!?」

森の闇の中に、鋭い瞳が不気味に浮かび上がり、その眼光が、関羽を睨み付けている。
「グルルルルル……」
不気味な唸り声を上げ、それは段々と姿を表した。
関羽の思った通り、彼らは狼であった。

「グオーン!!」
「ウウ〜……」
「ぬう……」
狼たちは、ジリジリと、関羽に近付く。

関羽は、思わず唸った。
厄介な森の獣に出会ってしまった。
関羽のような、屈強で剛勇な男でさえ、狼は決して舐めてかかれぬ相手である。

「グワアアッ!!」
「!!」
いよいよ、狼たちは、関羽に飛び掛かって来た。
関羽は、青龍偃月刀をがっしりと構える。

しかし、その瞬間。
青龍偃月刀が、眩く輝き始めた。
恐ろしいほどの青い光が、狼の目を釘付けにした。

「ウウーッ!」
「グワアーッ!」
そして、驚いた狼たちは、仲間同士で噛み付き合い、狂ったような声を上げた。
仲間に鋭く噛み付かれて、それで死ぬ狼もいれば、関羽に向かって来る狼もいた。
関羽は、その都度、青龍偃月刀を一振りし続けた。

狼たちは、関羽、というよりも、青龍偃月刀に向かってぶち当たるというような感じとでも言うのだろうか?
青龍偃月刀の刃の光に魅入られ、自ら刃に当たり自滅していくのだった。
動物は、人間よりも遥かに、青龍偃月刀の霊力に惹かれやすく、簡単に心を狂わせてしまうのだった。
やがては、全ての狼たちが、青龍偃月刀によって狂わされ、息絶えた。

関羽は、呆然として、青龍偃月刀を見た。

「……!」
やはり、野宿はかなりの危険を伴うものであった。
その場所は、狼たちの血なまぐさい臭いが漂うため、更に危険な猛獣を呼ぶことになってしまう。
そのことを懸念した関羽は、竹林に移動した。
「いずれにせよ、何処かに落ち着かねばならぬな……。これでは気が持たぬわ」

しかし、そうする間もなく、また、別の生き物が、関羽の方を睨み付けている。
「ガルルル……」
「!?」
関羽は、ギョッとして切れ長の目を見開いた。

森林の闇の奥から、不気味に動く巨大な影。
そして、二つの大きな目が、闇の中ぎょろっと光る。
「……もしや、こやつは……虎か!?」
関羽の思った通り、狼よりも何倍も恐ろしい、巨大な人喰い虎であった。

「ガルルルルル……」
「ぬう……、やはり……」
とうとう、虎が、関羽の前に姿を現した。
関羽は、がっしりと、青龍偃月刀を構えた。
少しの隙も見せてはならない。
隙を見せれば、相手は容赦なく襲い掛かってくるだろう。

やはり青龍偃月刀が脅威に感じるのか、虎は警戒しているようで、すぐには襲ってこなかった。
関羽と虎が睨み合う。

しかし、次の瞬間。
とうとう虎は、関羽目掛けて飛び掛ってきた。
「グワアアアアッ!!」
「――!!」

ところが、その時。
また、青龍偃月刀が強烈な青白い光を放った。

「グ……グワアッ!!」
虎は、その青龍偃月刀の光に目が眩み、ギュッとつぶっている。
そして、目をカッと見開き、また青龍偃月刀に狂ったように向かっていった。

「むんっ!!」
関羽は、思いっきり、青龍偃月刀を振った。
虎は、青龍偃月刀に斬られ、倒れた……。

「……」
関羽は、また呆然として、何が起こったのかをよく見た。
関羽の目の前に、巨大な虎の死体が、ゴロリと横たわる。

不思議なことに、青龍偃月刀は全く血で汚れていなかった。
青龍偃月刀は、青い光を放ち、まるで虎の血を吸うように、虎の血を吸収してしまった。
魔を絶ち、痛みを殆ど感じさせることなく絶命させてその血を吸う、恐るべき霊力を持つ青龍偃月刀……。

持っていた武器が、青龍偃月刀で良かったと、関羽は心から思った。
「おお……さすがは、南華仙人さまの下さった青龍偃月刀……南華仙人さま。わしをお守り下さり、有り難き幸せにござる……」
関羽は、天に向かって、手を合わせ、丁寧に頭を下げた。

そして、関羽は、たった今命を奪った、虎にも頭を下げた。
「虎よ。お前も生きるのに必死だったのであろう……。どうか安らかに天に召されよ……」

どんな立場の者にも慈悲深く、優しい心を忘れぬ関羽。
後世、現代に至るまで、関羽が関帝(関聖帝君)という神として崇められたのは、この関羽のとても深い優しさからも来ているのだろう。

   

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