原作 羅貫中『三国志演義』 作・絵 彩ますみ

     【】 立ち上がる勇気(1) 

「関羽殿、張飛殿、こちらが我が家です」
自分の家に到着した劉備は、一緒についてきた関羽と張飛を案内した。
「ほう……、のどかで空気が澄んだ、良いところですな……」

そして、関羽は、劉備の家の横にある、大きな桑の木を感慨深く見上げた。
「それにしても、立派な桑の木ですな。誠に霊木……」
「はい、この桑の木は、僕が生まれる前から我が家にあったそうです」
「おお。この桑の木の生い茂る家から生まれた男児は、立派な英雄になると、公孫サン(こうそんさん)将軍から聞きましてな」
「おお、公孫サンですか! 彼とは、盧植(ろしょく)先生に学んだ同士です」
「そうですか。ともすれば、劉備殿こそ、立派な英雄に違いあるまい」
「いえ、そんな。僕はそんな者ではないのですよ……」
劉備は、関羽の言葉を受け入れながらも否定し、自分の家の中に、二人を通した。

「母上、ただ今戻りました。それから、お客様です」
「あら、玄徳。え、その頬は、どうかしましたか?」
「ああ、これは……。大したことはありませんよ」
劉備は、張飛に殴られた左の頬を、関羽に貸してもらった、濡らした布で冷やしていたため、母親は心配していた。

関羽の後ろから、張飛がひょっこり顔を出して、笑って頭を掻いている。
「えへへ……。また来ちゃいましたっ。お袋さんっ!」



「おやまあ……。これは、張飛さま。それに……何と立派なお方……」
劉備の母親は、張飛のことは既に知っていたが、関羽とは初対面であったため、関羽のあまりに立派な風格に感心し、少しの間沈黙して見上げていた。

「劉備殿のお母上とお見受け致します。それがしは、姓名を関羽、字を雲長と申す者です」
関羽は、劉備の母親にも、同様に丁寧に挨拶をし、お辞儀した。
「先日は、我が義弟の張飛がご馳走になり、大変お世話になり申した」
「関羽さまですか……。そうですか、張飛さまの義理のお兄さまなのですね? こちらこそ、ありがとうございます。息子が大変お世話になりました」
「こやつは大飯食いですから、心配しておったのですが……。大丈夫ですかな?」
「いえいえ、それは大丈夫ですよ」

「よっしゃあ〜! 今日も、飯だ、酒だ〜っ!」
「ゴホン!」
大喜びの張飛の様子を見て、関羽はわざと咳払いをし、少し鋭い目で諌めた。
「……えへへ……」
張飛はそんな関羽を見て、申し訳なさそうに笑う。

「……あら……、そういえば、張飛さまは、字は何とおっしゃいましたでしょう……?」
張飛はハッとして、笑って頭を掻いた。
「えっ、あ、忘れちまってた! すんません。俺、字の方は翼徳(よくとく)ってもんで……へへ……」

それを聞いた関羽は、目を丸くし、驚いた。
「張飛、お前、字を名乗っておらぬのか!」
張飛はばつが悪そうに開き直る。
「仕方ねーじゃん。忘れちまったんだからさ!」
関羽が、少々呆れて顔をしかめた。
「これ、張飛。このような場では、もっときちんと名乗らぬか。いつも言うておろう?」
「ええ〜っ?」
関羽が、張飛の礼儀のなさを軽く諌めている。
「ははは……」
そんな二人を見て、劉備と劉備の母親は笑っていた。

「関羽殿、この布……、ありがとうございました」
「おお、もう外しても宜しいのですかな?」
「たぶん大丈夫です。ちゃんと洗って、お返しします。お心遣い、ありがとうございます……」
「劉備殿。そうお気を使わんでも宜しいですぞ」
「いいえ。そんなことは……」
張飛は、さっき劉備を殴った張本人なので、ばつが悪そうに下を向き、それを見ていた関羽は、静かに苦笑した。

「それでは、関羽さま、張飛さま。大したものがなく心苦しいのですが、おもてなしをさせて頂きたいと思います。少しの間、お待ち下さいませ」
「はっ……。分かり申した」
関羽は、丁重に、劉備の母親に頭を下げた。

ところが、座ろうとした関羽は、再び立ち上がった。
「しかし、単に待っているだけでは、それがしの気が済みません。何か手伝わせて下され」
「いいえ、とんでもない! 関羽殿と張飛殿は、お客さまですから!」
劉備が、驚いて首を横に振った。
「それでは、我らの気が済まぬのです……」
関羽が、少々申し訳なさそうに劉備を見下ろす。
「いいえ。そのお気持ちだけで結構です。関羽殿と張飛殿は、どうぞ椅子に座っていて下さい」

張飛が、明るくカラカラと笑って、関羽を見た。
「兄貴。座ってろって言うんだ、座ってればいいじゃんか!」
「張飛……。全くお前は……。ご馳走になるのに、そういうわけにはいかぬだろう?」

そんな二人を見て、劉備は感謝してお辞儀した。
「本当にありがとうございます。……それでは、釜の中に、薪を入れて頂けませんか?」
「分かり申した。それでは……。これ張飛、お前も手伝うのだぞ!」
「えーっ?」
昨日は快く手伝った張飛だったが、昼間の一件があって、劉備を弱いと思い込んでしまっていたため、少々面倒くさそうであった。

しかし、その時、劉備が張飛にお礼を言った。
「張飛殿が先日、この薪割りをして下さったおかげで、助かりました。本当にありがとうございます……」
それを聞いた関羽は、静かに笑って張飛を見た。
「ほう、そうだったのですか。こやつが薪割りを……」
「はい、おかげで本当に助かりました」
「張飛、感心だぞ。お前は何だかんだとあるが、人様のお役に立っておるようだな」
「えっ? いやあ、まー……。当たり前なことをしただけだよ!」
褒められて、照れ笑いをする張飛は、満更でもないようだ。

その日の夕方、劉備の家に滞在していた関羽と張飛は、劉備と今の世の状態を話し合っていた。
「それがしは、十八の時から理由(わけ)あって放浪の身、各地を旅しておりました。そして二十歳の時に張飛と出会い、こやつと義兄弟の契りを結び、この地に落ち着き、現在まで過ごして参りましたが、流浪の身だった頃、黄巾賊に家を焼かれ、家財を略奪され、殺された者たちを、たくさん見て来たのです……」



関羽は、静かに瞳を閉じて、話を続ける。
「奴らは抵抗する術を持たぬ女子供まで、容赦なく暴行の上、惨殺しています。特に、殺されてもなお、子供を抱きかかえていた、母と子の二体の遺体を、それがしは忘れることなど出来ません……」
関羽は、その時の様子を思い出し、わずかに震えていた。
抑えてはいるが、黄巾賊への激しい怒りによる、関羽の様子を見て、劉備は表情を険しくした。

「……かつては太平道だった黄巾党でしたが、今や賊軍にまで堕ちています」
それを聞いていた劉備は、静かにうなずいている。
「黄巾賊は、もともとは我々と同じ、圧政に苦しみ、反発する農民たちだったのですから、止めることなどできないでしょう……」
「しかし、今や我々と同士であったはずの黄巾党は、民衆に害を与えるだけの狂気の集団となっています」
「間違った方向に進んではいるが、黄巾賊も、平和な世を築こうとしていたはずだ」
「いや、黄巾賊の教祖、張角の野心は見えています。あの者は今の帝から、天下を奪おうとしているのです」

関羽は、窓の外にある、大きな桑の木を見た。
「先程も申し上げました通り、あの見事な桑の木……。あれこそが、英雄の証ですぞ」
「そんな……それは迷信では? 僕のような弱輩者に何を……?」
「お願い申す、劉備殿。今こそ、義勇軍の棟梁として立って頂きたいのだ!!」
「関羽殿……!!」
劉備は、突然のことにうろたえていた。

「待ってください!! 失礼ながら、関羽殿は何か誤解なされているのではないでしょうか? 僕は確かに、多少の文武を学んだことはございます。しかし僕は農民。義勇軍の棟梁など、そんな大役はとても……」
劉備は、下を向いて、関羽の言葉と自分を否定した。

「それに、義勇軍の棟梁なら、僕などより、関羽殿に張飛殿。貴方がたこそ相応しいのではないですか? 弱い僕とは違い、関羽殿はお強そうな上、清廉でご聡明なお方ですよね。張飛殿も、先日拝見致しましたが、とてもお強い。あれほどたくさんいた黄巾賊を、お一人で倒されてしまったのですから……」

劉備はそう言ったのだが、関羽は瞳を閉じ、静かに否定した。
「いや、劉備殿……。それがしも張飛も、人をまとめる人間ではございません。それがしは確かに、武の道も文の道もたしなんできましたが、人をまとめる資質ではないと思います。張飛は確かに力が強いが、こやつもまた、勉強不足です。人をまとめるような性格とはほど遠い……」
「え〜? なんじゃそりゃ。ま、けどその通りかもな……」
張飛は少々納得できない様子ではあったが、彼なりに客観的に自分を判断していた。

「しかし、劉備殿は違う。貴殿は人を惹きつける何かがあるのです。先程、張飛が貴殿にご無礼を働いた際、民たちが、劉備殿に一斉に駆け寄りましたな。それがしはあの様子を見て、それを感じたのです」
「ええ、彼らはみな、僕と苦楽を共にしてきた友人ですから……。それだけのことです。僕は、義勇軍の棟梁など、そんな大それたことは出来ません……!」
「どうしても、了承しては下さらぬと申されるか。では、劉備殿。貴殿の今の世に対するお考えをお訊ねしたい」
「……ぼ……僕は……っ」



関羽は、劉備を覗き込んだ。
関羽の真剣な眼差しに、劉備は戸惑いを隠せない。


「……今の世は乱れに乱れ、将軍や官軍たちは宮廷に賄賂を送らねば、出世も容易でない。おまけに帝は官宦たちに騙され、世が乱世であることを知らぬ有様……。このままでは、何の罪もなき民衆たちばかり、明日をも知れぬ日々に苦しむばかりだ……」
関羽は、更に、劉備を説得した。
「我々はこれ以上、この間違った乱世を黙視するわけにはいかんのです。黙っていたら、この間違いを認めることになりかねない。ですから戦わねばならぬ。勝ち負けなどではないが、戦わねばならぬのです」

関羽の威厳ある迫力に、劉備は圧倒されたが、それでも自分に自信がなく、自分を否定した。
「ぼ……、僕だって、黄巾賊は許せませんよ……! でも僕には、何の力もない。それが悔しい……! 先日だって、大事な人をろくに守れず、張飛殿がいなければとっくに殺されていた。僕に力があれは、既に……!」
とうとう、劉備の瞳から涙がこぼれ落ち、劉備は悔しさに震えていた。
「……」
そんな劉備の様子を、黙って見守っていた関羽は、劉備の気持ちがよく分かり、渋い表情で同調しているようであった。



しかし、そんな関羽の横にいた張飛は、劉備のその弱気な言葉を聞き、またカチンと来て、突然立ち上がり、劉備にどかどかと近付いた。
「てめー……!」
それを見た関羽はハッとした。
「なんて女々しいやつなんだ! あーそうだよ。お前は腰抜けだよっ!!」
張飛は、また、劉備を殴りそうな気配だったが、関羽が、劉備と張飛の間に立ち、厳しい顔で張飛を睨み付けた。
関羽の鋭い目を見た張飛は、ビクッとした。
「張飛! お前は少し黙っておれ!」



関羽は、厳しい声で張飛を諫めた。
「わ。分かったよ……兄貴……」
張飛は、面白くない感じだったが、義兄の関羽には逆らわず従った。

関羽は、劉備をじっと見て、静かに言った。
「劉備殿。失礼ながらも、貴殿はご自分のことをよくお分かりではないようですな……」
「……え?」
「貴殿は、自分には力がないと言っておられましたな。その力とは、武力だけではありませんぞ。黄巾賊は、ひとつの強烈な信念の元に団結している集団。これを打ち砕くなど、官軍ですら困難を極めます」
「……」
劉備は、戸惑いつつも、関羽の言葉を聞いていた。

「軍とは、兵士たちの心が一つにまとまることが大事なのだ。しかし、そもそも義勇軍は、右も左も分からぬ、烏合の衆。……そんな軍が、普通ならば、黄巾賊には勝てはしまい」
「はい……」

「関羽兄貴。うごーのしゅうってなんだ?」
張飛が、突然、突拍子もないことを聞いたので、関羽は呆れてため息をついた。
「はあ……。全くお前は……。烏合の衆というのはな。規律や統一性がない、まとまりがない寄せ集めの集団という意味だ。そのぐらいは、日頃からちゃんと勉強しておけ!」
「うわ、なんだよ、兄貴〜……、そんなにブチキレなくてもいいじゃん」

関羽は、咳払いをして、劉備の方に向き直った。
「ゴホン! 話を元に戻しますぞ。義勇軍は、昨日まで、武器など持ったことがないような軍です。しかし、人を惹き付け、まとめられる者がいた場合、軍そのものの士気や団結力が、変わる可能性があるのです。棟梁に必要なのは、強さだけではない。人をまとめ、団結させる力。それが、劉備殿の力。全ての民のための環境を造る力だ……」

関羽の説得は、劉備の心を強く揺さぶった。
そして、劉備は、関羽に言いかけた。
「か……関羽殿! 僕は……」

その時である。
やけに騒がしい音がする。
それは丘の下の、村の方角であった。
「むっ!?」
関羽はいち早く、その非常事態を敏感に察知し、持って来た大刀に巻かれていた布の紐を、素早く解いた。
すると、青く光をギラリと放つ、立派な大刀が姿を現した。

金の青龍の装飾が華麗に施され、刃と柄の付け根には、その青龍が、天を駆け巡る様子が描かれている。
そして、その青龍は、前足に青く美しい宝石を持ち、後ろ足の方は、房飾りが通せるようになっていた……。
関羽のこの武器は、『青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)』という武器であるが、詳しくは後ほど解説したい。
「!!」
劉備は、初めて見る、関羽の青龍偃月刀に目を奪われていた。

関羽は、その青龍偃月刀を持ち、外へ出て行った。
「あっ、関羽殿!?」
劉備はハッとして、慌てて、関羽の後を追った。

劉備の民家は、小高い丘の上にあるのだが、その丘の下にある村が、炎で真っ赤に染まっている。
劉備は、驚きに声を上げた。
「黄巾賊だ……! またしても、こんなに近くまでやって来たとは……!!」
そんな劉備の横で、関羽は静かに言った。
「劉備殿。ご覧の様に、黄巾賊は、民衆が逆らえないのをいいことに、そこまで迫っているのですぞ」
「……!!」

張飛は、蛇矛を握り締め、怒りに震えた。
「くそったれ、黄巾賊め! 俺がやっつけてやる!!」
そう叫ぶと、張飛は丘を駆け下りた。

「張飛、わしも行くぞ!!」
関羽は、張飛の後を急いで追った。

「ああっ、関羽殿、張飛殿っ!!」
劉備は、血相を変えて母親に言った。
「母上、あれは王星が住む村の方、王星が心配です。僕も行きます!」
「玄徳、くれぐれも、気を付けるのですよ……」
「はいっ!」
劉備も、二人を追って、自分の武器である双剣を持ち、駆け出して行った。

   

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